支那の夜』(しなのよる)は、流行歌「支那の夜」のヒットを受けて、1940年(昭和15年)に作られた日本映画である。

支那の夜

主役の長谷川一夫と李香蘭

監督 伏水修
脚本 小国英雄
製作 滝村和男
出演者 長谷川一夫
李香蘭
音楽 服部良一
主題歌 李香蘭
支那の夜
撮影 三村明
配給 東宝
公開 日本の旗 1940年昭和15年)6月5日 日本劇場
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語中国語
テンプレートを表示

概要

編集

2

[1]

[2]

[3]

1

あらすじ

編集








国策映画をめぐる議論

編集

[4][1][5]

[6][7][8][9][10]

[11][12]

[13][14]

外国上映

編集
 
中国語での広告

『支那の夜』は1940年から終戦直後まで、以下の地域で上映された。

日本(朝鮮台湾を含む)・中国満洲国アメリカ[15]フランス領インドシナ[16]タイ[17]香港[18]フィリピン[19]ビルマ[20]インドネシア[21]   

多くの地域で上映された背景には、当時アジアの日本の占領地では、主題歌の「支那の夜」が広く流行していたという理由がある。当時の映画雑誌では「音楽映画の豊富さと、全体にみなぎる甘美な色調によって、南方いづこの地においても大衆的な歓迎を受けた」「李香蘭は、彼等の崇拝の対象となりつつある」「支那の夜の成功は、李香蘭の魅力によると共に、南方民族政策上看過することを許されぬ華僑の、母国への郷愁を含めての支持があった」と批評されている[22]

中国上映

編集

1940

1943?退[23]

1943213239[24][25]

[26]

戦後

編集

戦後の日本では、オリジナル版から約30分シーンがカットされ(一説によれば、1940年にフランス領インドシナに輸出されたバージョン)[27]、「蘇州夜曲」と改題された上で1952年に再上映された。

このバージョンのものは、2003年キネマ倶楽部からビデオ発売され、2009年2月と2010年8月にCSテレビ局で放映された。

オリジナル版は時折、国立映画アーカイブで上映されている。

スタッフ

編集

劇中で使われた歌

編集



使[1]
作詞:西條八十
作曲:竹岡信幸
歌:渡辺はま子
作詞:西條八十
作曲:服部良一
歌:李香蘭
  • 「想兄譜」(1940年6月発表)
作詞:西條八十
作曲:竹岡信幸
歌:服部富子

脚注

編集
  1. ^ a b c 山口淑子『私の履歴書 「李香蘭」を生きて』日本経済新聞社、2004年、pp.58-60
  2. ^ 『新映画』1941年1月号、p.138
  3. ^ 山口淑子、藤原作弥『李香蘭 私の半生』新潮社、1987年、pp.130、334
  4. ^ 矢野誠一『二枚目の疵 長谷川一夫の春夏秋冬』文芸春秋、2004年、p.89
  5. ^ 山口淑子、藤原作弥『李香蘭私の半生』新潮社、1987年、p.234
  6. ^ 古川隆久『戦時下の日本映画 人々は国策映画を見たか』吉川弘文館、2003年、p.128
  7. ^ 「みづゑ」1941年1月号 国防国家と美術(座談会)
  8. ^ 「朝日新聞」1940年6月9日付夕刊 新映画評
  9. ^ 「検閲の窓から 日本映画界について(完)」『新映画』1941年8月号、p.64
  10. ^ 「読売新聞」1941年2月16日朝刊2面
  11. ^ 木村千依男「日本映画抄」『キネマ旬報』1940年7月1日号、p.24
  12. ^ 長谷川一夫『舞台・銀幕六十年』日本経済新聞社 、1973年、p.193
  13. ^ 古川隆久『戦時下の日本映画 人々は国策映画を見たか』吉川弘文館、2003年、p.130
  14. ^ 古川隆久『戦時下の日本映画 人々は国策映画を見たか』吉川弘文館、2003年、p.2
  15. ^ 「映画検閲時報 輸出フィルムノ部」内務省警保局
  16. ^ 『映画評論』1944年8月号、p.14
  17. ^ 『映画旬報』1943年2月21日号、p.23
  18. ^ 邱淑婷『香港・日本映画交流史 アジア映画ネットワークのルーツを探る』東京大学出版社、2007年、p.37
  19. ^ 『日本映画』第9号1944年8月1日発行、p,28
  20. ^ 『日本映画』1944年18号、p.647『共栄圏映画事情』
  21. ^ 安田清夫「インドネシアと映画」『映画旬報』1943年11月11日号、p.32
  22. ^ 『日本映画』1944年8月号、p.28
  23. ^ 山口淑子、藤原作弥『李香蘭私の半生』新潮社、1987年、p.273
  24. ^ 野口久光「中国人の鑑識眼」『映画旬報』1943年6月1日号、pp.20-21
  25. ^ 『大華』「問答欄」1943年6期 「戦時日中映画交渉史」アンニ著 岩波書店、p.108
  26. ^ 清水晶『上海租界映画私史』新潮社、1995年、p.226
  27. ^ 「戦時下の日本映画」古川隆久著 吉川弘文館131p