新天町 (福岡市)
福岡県福岡市中央区の商店街
新天町 Shintencho | |
---|---|
![]() 新天町南通り入口 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒810—0001 福岡県福岡市中央区天神二丁目9番 |
開業日 | 1946年10月15日[1] |
施設管理者 |
株式会社新天町商店街公社 新天町商店街商業協同組合 |
敷地面積 | 8,361.64 m² |
商業施設面積 | 25,837.34 m² |
店舗数 | 101 |
前身 |
福岡高等女学校校舎 福岡女子専門学校仮設キャンパス |
最寄駅 |
西鉄福岡(天神)駅 空港線天神駅 七隈線天神南駅 |
最寄IC | 福岡高速1号線天神北出入口 |
外部リンク | 公式サイト |
歴史
編集名称の由来
編集当地の町名「天神町(てんじんのちょう)」を元に命名された。「新天神町」の意[2]。
沿革
編集
●1946年︵昭和21年︶10月15日 - 西日本新聞社の郷土再建案として商店街設立。当初は木造2階建ての住居兼店舗12棟で構成されていた。
●1946年︵昭和21年︶ - ﹁新天音頭﹂、新天町マークを制定。
●1950年︵昭和25年︶ - 戦後の品不足で建設した店舗の老朽化が進んだため、増改築とアーケード化を実施。﹁降っても照っても新天町﹂というキャッチフレーズも誕生する。
●1968年︵昭和43年︶ - 新天町全体の不燃化︵鉄筋コンクリート造︶が完了。
●1972年︵昭和47年︶ - 新天町ファーボ開業。
●1978年︵昭和53年︶ - 総工費4億2000万円をかけて南北両通りの冷暖房設置や電飾の統一など大幅な改装工事が完了。
●1981年︵昭和56年︶ - 商店街初のからくり時計設置。
●1988年︵昭和63年︶ - 子供山笠の活動を始める。
●1994年︵平成6年︶7月7日未明 - 博多祇園山笠の飾り山が放火され、全焼。商店街への延焼は免れたものの、放火犯は捕まらず、未解決のまま。
●2008年︵平成20年︶ - 北通りと南通りを結ぶメルヘン広場に、ドーム型アーケード(新天町サンドーム)が設置される。
立地
編集テーマソング
編集
●新天音頭
●1947年と1959年の2回にわたって、公募でえらばれた[3]。
●キミとボクの街
●1969年に公募で歌詞を募集した。伊藤アキラが補作を、越部信義が作曲担当。ソノシート2万枚が製作された。歌は額田和代と可愛和美が担当した。制定後、5年ほど館内のBGMやCMソングとして使われた[4]。
●アイラブFUKUOKA
●新天町創設40周年を記念して製作された。歌、作曲新居昭乃。
メルヘンチャイム
編集商店街の中央広場には「メルヘンチャイム」という日本一大きい時計塔(高さ17メートル、幅25メートル)が設置されていて、正時ごとに時計のチャイムがなる。
- 9:00 喜びの歌
- 10:00 黄色いリボン
- 11:00 野ばら
- 12:00 聖者の行進
- 13:00 博多どんたく囃子
- 14:00 おおブレネリ
- 15:00 アヴィニョンの橋の上で
- 16:00 グリーンスリーブス
- 17:00 ラヴァーズ・コンチェルト
- 18:00 黒田節
- 19:00 サンタ・ルチア
- 20:00 ホームスイートホーム
新天町倶楽部
編集新天町の今後
編集主な通り
編集- メルヘン通り
- 新天町北通り
- 新天町南通り
脚注
編集
(一)^ グランドオープン及び公式創業日。一部店舗は同年9月1日に先行オープンしている。
(二)^ “新天町物語 第3回 新天町誕生”. 新天町. 2010年2月23日閲覧。
(三)^ “新天町物語 第14回 テーマソング︵1︶”. 新天町. 2013年10月27日閲覧。
(四)^ “新天町物語 第15回 テーマソング︵2︶”. 新天町. 2013年10月27日閲覧。
関連項目
編集
●他の﹁新天町﹂
●田中諭吉 - 商店街の企画を作ったとされる。
●西部警察 PART-III - 第18話﹁パニック・博多どんたく−福岡篇−﹂で、商店街内および博多どんたくの新天町会場でロケが行われた。また、博多どんたく囃子のメロディチャイムが病院院長の息子を誘拐した犯人からの脅迫電話の向こうで鳴っており、誘拐犯一味が福岡に潜伏している事を突き止めるヒントとなる。