朝倉鉄蔵
経歴
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陸奥国伊達郡立子山村︵福島県[3]伊達郡立木村、立子山村[4]を経て現福島市立子山︶で豪農[2]の家に生まれる。漢籍を修めた[3][4]。農蚕業を営む[3][4]。
自由民権運動に加わり、河野広中と共に活動を行う[2]。伊達郡会議員、同議長、福島県会議員、同議長、立子山村長などを務めた[2][3][4]。
また、産業振興に尽力し[2]、福島共同荷造所を設立し、伊達郡、信夫郡、安達郡の三郡の生糸の品質を統一して輸出を行い[2]、川俣羽二重の振興のため福島県絹織物組合組長に就任した[2][3][4]。
1904年︵明治37年︶3月、第9回衆議院議員総選挙︵福島県郡部、憲政本党︶で当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[3][4]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。