131585 - 3481654524 

経歴

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13158571621[1]

40駿駿使[2]

111634 60016163921454[3]33殿4使10[2]

164863[2]

4165136[2]

21653316544870[2]  

一族

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駿駿[2]

子孫

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6004040[2] 貿

流儀

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はじめ師の流名をはばかって自らの流儀を運籌流と称していたが寛永11年(1635年)に柳生流を公称することを許され、運籌流は二代目として同門の出淵平兵衛(越前松平家)に譲られた。後に平兵衛も柳生流を称することを認められたため、運籌流は柳生家に返上された[4]

著書・伝記・資料

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著書
  • 木村助九郎 兵法聞書(正保年間、1644年~1647年、木村助九郎友重著、奈良芳徳禅寺蔵)

 友重65歳の作。全98項目から成り、三厳(十兵衛)と宗矩の兵法談を伝聞体で箇条書きにしてまとめている。柳生流の構え、燕飛、一刀両段、無刀取、理・心・裏に至る点について説く。

  • 史料 柳生新陰流(1967年6月10日、今村嘉雄編、人物往来社
  • 改訂 史料 柳生新陰流(1995年4月30日、今村嘉雄編、新人物往来社
伝記
  • 南紀名臣伝畧
  • 木村家譜
  • 南陽語叢
  • 日本剣道史(1960年5月15日、山田次朗吉、再建社)
  • 日本剣豪列伝(教養文庫、江崎俊平)
史料
  • 不審庵伝来 元伯宗旦文書(1971年、茶と美舎、千宗左編)
  • 新編 元伯宗旦文書(2008年、不審庵文庫、千宗左監修、千宗員編)
事典
  • 日本人名大事典(新撰大人名辞典)第2巻(1937年7月23日、平凡社

題材とした作品

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映画
ドラマ
演劇
小説
漫画

脚注

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注釈

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  1. ^ 友重が柳生家に仕えた時期や経緯は不明なものの、友重が著したとされる『木村助九郎 兵法聞書』によれば18歳で剣術の稽古を始めたとあることから、入門の時期は柳生家が関ヶ原の戦いでの功績により、一時失領していた本領を取り戻した後の慶長7年(1602年)頃と見られる[1]

出典

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  1. ^ 史料 柳生新陰流〈上巻〉収録『木村助九郎兵法聞書』。該当箇所はp.187
  2. ^ a b c d e f g 南紀徳川史 第6冊収録『木村家家譜』。該当箇所はp.187
  3. ^ 『徳川実紀』
  4. ^ 綿谷雪2011

参考文献

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  • 今村嘉雄編輯『史料 柳生新陰流〈上巻〉』人物往来社、1967年。 
  • 南紀徳川史刊行会 編『南紀徳川史 第6冊』1933年。 
  • 綿谷雪『日本武芸小伝』国書刊行会、2011年2月。 

関連項目

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