太宗 (朝鮮王)

李氏朝鮮第3代国王
李芳遠から転送)

1367613 - 142253031400 - 14183[1]1403(3)[2]
太宗 李芳遠
李朝
第3代国王
王朝 李朝
在位期間 1400年11月29日-1418年9月9日
都城 開京漢陽
遺徳(ユドク、유덕
諡号 恭定聖徳神功建天体極大正啓佑文武睿哲成烈光孝大王
廟号 太宗
生年 至正27年5月16日
1367年6月13日
没年 永楽20年5月10日
1422年5月30日
太祖(五男)
神懿王后韓氏
王后・王配 元敬王后閔氏
妃嬪 下記参照
子女 下記参照
陵墓 献陵
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太宗
各種表記
ハングル 태종
漢字 太宗
発音 テジョン
日本語読み: たいそう
ローマ字 Taejong
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太宗

李氏朝鮮開祖李成桂の五男。本名を李芳遠(イ・バンウォン、り ほうえん)という。即位前は靖安君、靖安公[3]

略歴

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初代権知高麗国事李成桂(太祖)の五男の「李芳遠」として産まれる。幼少時から聡明かつ冷静沈着な人物として知られ、父が在位中はその補佐に当たった。1383年高麗朝科挙に合格して任官、威化島回軍の頃には開京で残留していた家族たちの身辺を保護した。1392年4月、李成桂の簒奪に反対した守門下侍中(副宰相)の鄭夢周は李成桂が狩猟中に負傷した機に乗じて彼ら一派の除去を図ったが、これを探知した芳遠によって暗殺された。この時の功績で同年7月に朝鮮王朝が成立しながら靖安君になり、他の兄弟に比べて有力な後継者に浮上した。

第一次王子の乱による太祖の権知朝鮮国事退位

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しかし、父王の継妃神徳王后と功臣鄭道伝の牽制をもらいながら王世子に冊封されず、これに不満を抱いたあげく、1398年に揮下の私兵を動員して鄭道伝などを斬殺して政権を握った後、父王太祖を退位に追いやった(第一次王子の乱[1]

第二次王子の乱と「王世弟」冊封

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第三代権知朝鮮国事即位後

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明による「朝鮮王」冊封以後

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1403[2]

1403

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1405

1406退

14071415



三男への「王世子」冊封と上王即位

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対馬侵略

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1419610129193910411使142330[4]



14225寿55510


宗室

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  • 祖父:李子春(1315年 - 1361年)
  • 祖母:懿春王后崔氏(生没年不詳)
  • 父:太祖 李成桂(1335年 - 1408年)
  • 母:神懿王后韓氏(1335年 - 1391年)
    • 兄:鎮安大君(1354年 - 1394年)
    • 兄:定宗(1357年 - 1419年)
    • 兄:益安大君(1360年 - 1404年)
    • 兄:懐安大君(1364年 - 1421年)
    • 弟:徳安大君(生年不詳 - 1385年)
    • 妹:慶慎公主(生年不詳 - 1426年)
    • 妹:慶善公主(生没年不詳)

后妃

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後宮

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  • 孝嬪金氏(生年不詳 - 1454年)
    • 敬寧君 李
  • 信嬪辛氏(1377年 - 1435年)
    • 寧君 李
    • 温寧君 李 世祖とともに癸酉靖難を主導。
    • 貞静翁主
    • 淑貞翁主
    • 貞信翁主
    • 淑寧翁主
    • 昭信翁主
    • 昭淑翁主
    • 淑慶翁主
  • 善嬪安氏(生年不詳 - 1468年)
    • 恵寧君 李𧘲
    • 益寧君 李
    • 敬慎翁主
    • 淑安翁主
  • 昭嬪盧氏(生年不詳 - 1479年)
    • 淑恵翁主
  • 懿嬪権氏(1384年 - 没年不詳)
    • 貞恵翁主
  • 明嬪金氏(生年不詳 - 1479年)
  • 貞嬪高氏(生年不詳 - 1426年)
    • 謹寧君 李
  • 淑儀崔氏(生没年不詳)
    • 熙寧君 李
  • 徳淑翁主李氏(生没年不詳)
    • 厚寧君 李
  • 淑恭宮主金氏(生没年不詳)
    • 子女なし
  • 義貞宮主趙氏(生年不詳 - 1454年)
    • 子女なし
  • 恵順宮主李氏(生年不詳 - 1438年)
    • 子女なし
  • 信順宮主李氏(1390年 - 没年不詳)
    • 子女なし
  • 恵善翁主洪氏(生没年不詳)
    • 子女なし
  • 順恵翁主張氏(生年不詳 - 1423年)
    • 子女なし
  • 西京翁主(生没年不詳)
    • 子女なし
  • 宮人金氏(生没年不詳)
    • 淑謹翁主
  • 宮人李氏(生没年不詳)
    • 淑順翁主

脚注

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  1. ^ a b c d 韓国時代劇歴史大全2015年度版 - p115
  2. ^ a b 韓国文化への誘い: 全羅北道の歴史と文化秋季特別展 - p39 石川県立歴史博物館
  3. ^ 1392年(太祖元年)靖安君となり、1398年(太祖7年)公侯伯制度導入で靖安公に改称。厳密には“靖安大君”にはなっていない(“大君”の称号ができたのは公侯伯制度が廃止された1401年(太宗元年))。
  4. ^ 第2版, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,旺文社日本史事典 三訂版,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “応永の外寇とは”. コトバンク. 2022年11月6日閲覧。

太宗が登場する作品

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映画

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テレビドラマ

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先代:
定宗
李氏朝鮮国王
第3代:1400年 - 1418年
次代:
世宗