松田道一
日本の外交官
経歴
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判事・弁護士の松田道夫の長男として東京府に生まれる[4]。1900年︵明治33年︶に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格し、また判事検事登用試験にも合格して検事となった[4]。1902年︵明治35年︶、外務省参事官に転じ、翻訳官を経て、ベルギー公使館三等書記官を務めた[4]。1913年︵大正2年︶、外務省政務局第二課長となり、通商局長事務取扱、条約局長、国際連盟帝国事務局長・フランス大使館参事官を歴任した。1925年︵大正14年︶、駐オランダ公使となり、翌年に駐イタリア大使に転じた[4]。1930年︵昭和5年︶より外務書記官・条約局長を務めた[4]。
退官後は宮内省御用掛となった[4]。太平洋戦争中は昭和天皇に定期的に御進講を行い、外交情勢を伝えていたとされる。その他、日伊協会理事長・副会長を務めた。
家族
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●父‥松田道夫 - 判事、弁護士
●妹‥ひろ - 那須章弥の妻。那須章弥︵1881 - 1934︶は東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、川崎製鉄の繁栄を支えた土木技術者だったが、1933年に会社と揉めて解職され、翌年拳銃自殺した[5][6]。
●妻‥すて - 長谷川泰の娘[7]
栄典
編集登場作品
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
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