権擥
李氏朝鮮前期の権臣
権 擥︵クォン・ラム、けん らん、1416年︵太宗16年︶ - 1465年︵世祖11年︶2月6日︶は、李氏朝鮮前期の権臣。勲旧派として王朝政治に参画。策士とされる韓明澮とは友人。字は正卿︵チョンギョン︶、号は所閑堂︵ソハンダン︶、諡は翼平︵イクピョン︶。﹃東国史略﹄を著した権近の孫で、右賛成を歴任し、﹃高麗史﹄の編集に参加した権踶︵クォン・ジェ︶の次男。
権擥 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 권람 |
漢字: | 權擥 |
発音: | クォン・ラム |
日本語読み: | けん らん |
ローマ字: | Kwon Ram |
年表
編集
●1450年、食年文科に首席合格し、その後、司憲府監察︵サホンブ カムチャル 正六品相当︶に任官。
●1451年現在、集賢殿校理︵チッピョンジョン キョリ 正五品相当︶に任官している。
●1453年11月1日現在、集賢殿直提学︵チッピョンジョン ジクジェハク 正三品堂上相当︶に異動している。
●11月8日、癸酉靖難︵ケユジョンナン︶の功により、靖難功臣︵ジョンナンゴンシン︶一等に遇せられ、承政院同副承旨︵スンジョンウォン トンブスンジ 正三品堂上相当︶に異動。
●1454年2月13日現在、承政院右副承旨︵スンジョンウォン ウブスンジ 正三品堂上相当︶に転任している。
●8月5日、承政院左副承旨︵スンジョンウォン チャブスンジ 正三品堂上相当︶に転任。
●1455年1月24日現在、通政大夫︵トンジョンテブ 正三品堂上相当︶に叙せられ、承政院左副承旨を本官として、経筵庁参賛官︵キョンヨンチャン チャムチャムグァン 正三品堂上相当︶、宝文閣直提学︵ホムンガク ジキジェハク 正三品堂上相当︶、知制誥︵チジェギョ︶、兼判贈工監事︵キョムパンソンゴンガムサ︶、知工曹事︵チゴンジョサ︶などを兼任している。
●閏6月10日、承政院右承旨︵スンジョンウォン ウスンジ 正三品堂上相当︶に転任。
●閏6月23日、吏曹参判︵イジョチャンパン 従二品相当︶に転任。
●9月20日、功により佐翼功臣︵チャイクゴンシン︶一等に遇せられ、明国への謝恩使︵サウンサ︶に任命。因みに、時に芸文館大提学︵イェムングァン テジェハク 正二品相当︶を兼任している。
●1456年2月4日、吏曹判書︵イジョパンソ 正二品相当︶に転任。
●7月5日、吉昌君︵ギルチャングン︶に封ぜられ、集賢殿大提学︵チップヒョンジョン テジェハク 正二品相当︶、知経筵春秋館事︵チギョンヨン チュンチュガンサ 正二品相当︶を兼ねる。
●1457年8月14日、判中枢院事︵パンジュンジュウウォンサ 従一品相当︶に転任。
●1458年12月7日、右賛成︵ウチャムソン 従一品相当︶に転任。
●1459年10月30日現在、左賛成︵チャチャムソン 従一品相当︶に転任している。
●11月6日、右議政︵ウイジョン 正一品相当︶に転任。
●1462年5月20日、左議政︵チャイジョン 正一品相当︶に転任。因みに、領議政︵ヨンイジョン︶には、申叔舟︵シン・スクチュ︶、右議政には、韓明澮︵ハン・ミョンフェ︶が就き、靖難功臣の功臣によって議政府の閣僚は占められた。
●1463年、病により、左議政を辞任し、吉昌府院君︵ギルチャンブウォングン︶に封ぜられる。
●1465年、死去。享年49。
※参考‥朝鮮王朝実録
逸話
編集
●幼い時から広く学び、大志を抱いていたので本箱を馬にのせては、名称旧跡を訪ね、学問をつんだ。その時、韓明澮に会って生涯の友となった。
●韓明澮に﹁男として生まれて辺境で武功を立てられないのなら、万書の書を読んで、不朽の名を残そう﹂と約束するほど親交を結んだ。
※参考‥朝鮮王朝実録