横山常守
横山 常守 | |
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![]() 横山常守(横山主税) | |
時代 | 弘化4年(1847年) |
生誕 | 慶応4年5月1日(1868年6月20日) |
別名 | 通称:主税 |
諡号 | 霊号:常忠霊神 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 会津藩 |
父母 | 父:山川常道、養父:横山常徳 |
子 | 又作(のち常道) |
生涯
編集養父・常徳
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父は山川兵衛重英の四男・常道。山川浩兄弟姉妹は血縁である。養父は会津藩江戸家老横山常徳。常徳は江戸の三家老[1]と称された人物で、藩主松平容保を補佐して功績があり、家禄700石から1300石まで加増された。京都守護職就任の内命を松平春嶽から受けたのは常徳である。秋月悌次郎、広沢安任を抜擢し、幕末の京にあって会津藩を指導したが、病に倒れ帰郷。禁門の変直後に死去した。
ヨーロッパ歴訪
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家督を継いだ横山は、パリ万国博覧会に使節団として派遣される徳川昭武の随員として、海老名季昌とともに選ばれた。1867年2月15日︵慶応3年1月11日︶、フランス船アルファ号に乗船し横浜を出港。4月11日︵3月7日︶、パリへ到着した。パリでは先に渡欧していた同藩の山川浩、田中茂手記[2]と再会している。欧米諸国の視察を命じられていた横山は、イギリス、プロシャ、オランダ、ロシアなどを歴訪した。[3]
しかし日本では大政奉還が行われるなど会津藩を取り巻く情況は切迫し、11月28日(11月3日)に帰国した。
白河口副総督
編集脚注
編集参考文献
編集- 会津郷土資料研究所『慶應年間 会津藩士人名録』勉強堂書店、1994年。
- 小島一男『会津人物事典 (武人編))』歴史春秋社、1995年。
- 綱淵謙錠