正宗敦夫
1881-1958, 国文学者、歌人。
正宗 敦夫(まさむね あつお、明治14年(1881年)11月15日[1](戸籍上は11月30日) - 昭和33年(1958年)11月12日[1])は、日本の国文学者、歌人。
人物情報 | |
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生誕 |
1881年11月15日 日本岡山県和気郡 |
死没 | 1958年11月12日 (76歳) |
学問 | |
研究分野 | 国文学 |
経歴 編集
岡山県和気郡穂浪村︵現在の備前市穂浪︶生まれ[1]。小説家で文学評論家の正宗白鳥の実弟。東京を活動の拠点とした兄とは違い郷里で家業を営み、その傍ら作歌をし、国文学の研究を行った。1897年︵明治30年︶から井上通泰に師事し[1]、島木赤彦、斎藤茂吉などとも親交を持った。1909年︵明治42年︶、歌文珍書保存会を主宰し、古書・稀少本を収集・刊行を行った[1]。1925年︵大正14年︶与謝野寛・与謝野晶子夫妻と﹁日本古典全集﹂シリーズを刊行する[1]。1927年︵昭和2年︶、株式会社日本古典全集刊行会を設立するが倒産する[1]。しかし、長島豊太郎と協力して﹁日本古典全集﹂の刊行を継続した[1]。
1931年︵昭和6年︶﹃万葉集﹄の歌のすべての用字をまとめた﹃萬葉集總索引﹄を編集[1][注釈1]。また1936年︵昭和11年︶財団法人正宗文庫を設立[1]、自宅の敷地内に文庫を建設。正宗文庫は貴重な資料庫として現存している[2]。
1952年︵昭和27年︶ノートルダム清心女子大学教授[1]。1954年︵昭和29年︶岡山県文化賞受賞[1]。