浅野斉賢
安芸広島藩8代藩主。浅野家23代。浅野重晟の次男・嫡子。従四位下左近衛権少将、安芸守
浅野 斉賢(あさの なりかた)は、安芸国広島藩の第8代藩主。浅野家23代当主。
浅野 斉賢 | |
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 安永2年9月21日(1773年11月5日) |
死没 | 文政13年11月21日(1831年1月4日) |
改名 | 時之丞、善次郎(幼名)、斉賢 |
戒名 | 天祐院殿徳順履信大居士 |
官位 | 従四位下左近衛権少将、安芸守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 安芸広島藩主 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 | 父:浅野重晟、母:徳川宗勝の9女・陽姫 |
兄弟 | 斉賢、森快温、長懋、忠順、光樹院、伊東祐民室、浅野長容室、秋元知朝正室、勝子、小笠原長瑶正室ら |
妻 |
正室:有栖川宮織仁親王の第1王女・織子女王 継室:徳大寺実祖の娘・泰君 |
子 | 斉粛、歌姫、輝、益、久美、秋元久朝正室、嘉代、溝口直諒継室、加代子 |
生涯
編集事績
編集
●先代・重晟の藩財政再建・殖産策を継承し、藩政は安定に向かった。
●藩儒・頼杏坪らに命じ、藩内の地誌﹃芸藩通志﹄を編纂させた。
●文化7年︵1810年︶に重晟とともに浅野家初代浅野長政らを祀る新たな位牌堂を造営し、のちの饒津神社の前身となった。
●将棋を愛好し、文化9年︵1812年︶10月28日に大橋宗桂︵10代︶を屋敷に招き、将棋を指している。
●ロシアに漂着し、文化10年︵1813年︶5月に安芸に帰国した久蔵と面会した。久蔵は帰国の際に、種痘苗をガラスの器に入れて持ちかえっており、これが広島県にもたらされた最初の種痘苗であるとされている。久蔵はその効果を藩と斉賢に進言しているが信じてもらえず、広島藩に牛種痘法が広まることはなかった。