海軍軍医学校(かいぐんぐんいがっこう、旧字体海󠄀軍軍醫學校󠄁)とは、大日本帝国海軍における軍人の医療・衛生を担当する軍医および看護士薬剤師を養成する教育機関のことである。医学薬学歯学の3コースを設定し、海軍病院を総括指導する軍医を養成する普通科・高等科・特修科、医療現場で活動する看護士・技師を養成する選修科を設置した。

概要

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日清戦争まで

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1872511918811

1071886西

また、1884年(明治17年)には東京府荏原郡に第二附属病院(国立東京第二病院を経て現・国立病院機構東京医療センター)が開院した。

1889年には特認されていた私費学生制度を全廃する一方、薬剤官候補生の実習を始めている。

1894年3月に全生徒・候補生が卒業したため、医学校は廃止された。医学教育は海軍大学校に増設した軍医科で続行され、8名が編入された。

日露戦争以後

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1898419081942

194520111

軍医学校の沿革

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1897 

1908 

1909 

1912 11-2()

1918 ()

   

1923 

1936 2

1942 

1943 

1944 

1945111 

歴代軍医学校長

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軍医学校(第一次)
軍医学校(第二次)
  • 戸塚環海 軍医大監:1898年4月1日 -
  • (兼)豊住秀堅 軍医大監:1899年3月22日 - 4月24日
  • 豊住秀堅 軍医大監:1899年4月24日 - 1900年1月4日
  • (兼)木村壮介 軍医大監:1900年1月4日 - 3月2日
  • 吉田貞準 軍医大監:1900年3月2日 -
  • 木村壮介 軍医大監:1900年5月20日 - 1901年4月15日
  • 戸塚環海 軍医大監:1901年4月15日 -
  • 鶴田鹿吉 軍医大監:1902年5月27日 - 8月9日
  • 木村壮介 軍医大監:1902年8月9日 - 1905年12月12日
  • (兼)木村壮介 軍医総監:1905年12月12日 - 1906年1月4日
  • 本多忠夫 軍医大監:1906年1月4日 - 1915年12月13日
  • 矢部辰三郎 軍医総監:1915年12月13日 - 1917年12月1日
  • 鈴木裕三 軍医総監:1917年12月1日 -
  • 西勇雄 軍医少将:1919年12月1日 -
  • 雨宮量七郎 軍医少将:1924年12月1日 - 1925年12月1日
  • 小川龍 軍医少将:1925年12月1日 - 1929年11月30日
  • 国府田中 軍医少将:1929年11月30日 -
  • 高杉新一郎 軍医少将:1932年2月25日 -
  • 向山美弘 軍医少将:1934年11月15日 -
  • 田中朝三 軍医中将:1937年12月1日 -
  • 田中肥後太郎 軍医中将:1939年11月15日 -
  • 保利信明 軍医中将:1941年10月15日 -
  • 神林美治 軍医少将:1943年10月25日 - 1945年11月1日閉校

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 官報