清末陣屋
清末陣屋(きよすえじんや)は長門国豊浦郡清末村(現・山口県下関市清末陣屋)にあった清末藩(毛利氏、長州藩の孫藩)の陣屋である。
概要
編集構造
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縄張りは、北と西が段差のある崖となっており、南側にある池を堀代わりとしていて、御殿山の自然の地形を巧みに利用した造りになっている。中心は藩庁の館︵やかた︶で、その付近に家老や御殿医などの屋敷が築かれた[3]。
考古資料
編集遺構
編集陣屋は、御殿山と言われている小高い丘の上にあり、下関市立東部中学校の敷地として利用されている。
- 「清末藩邸跡」石碑
- 水堀
周辺施設・関連資料ほか
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●六角池 - 清水が無限に湧く石井の池は、六角池と呼ばれていた。清末の﹁清﹂の語源ともされる[4]。
●内藤家屋敷門 - 筆頭家老の内藤氏の門。下関市の有形文化財指定[2]︵清末内藤家表門付練塀及び門前石段︶。
●橋本家長屋門 - 藩邸の第一裏門だったと伝わる。現在地の千房に移築された。鬼瓦をはじめ本体はそのままで、数少ない旧藩邸の遺物[5]。
●阿内八幡宮 - 陣屋門が移築されている[2]。
●高林寺 - 清末藩の菩提寺。歴代藩主の墓所[6]。