オイラト

モンゴル高原の西部から新疆の北部にかけて居住する民族
瓦剌から転送)
モンゴル系民族 > オイラト

: Ойрад Oirad: Өөрд西

概要

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15182030 使 1970NHK 19861990[1]

歴史

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モンゴル帝国時代

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12世紀のモンゴル高原の諸部族

12西西[2] اويرات Ūyrāt 

13120012084 Tümen Oyirad Dörben Oyirad婿婿

姻族クドカ・ベキ家の発展

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1322

1412

22西4

1264

オイラト部族連合の形成

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四オイラトの位置

141415西

151414退


エセンの覇権

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エセン・ハーン時の最大版図。

1434西

5014491453

11454

エセン没落後のオイラト

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15世紀の東アジア諸国と北方諸民族。

退西

1487西16Altan Khan of Khalkha

16231632西16341630 - 1771

16361640調


グーシ・ハーンのチベット征服

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17西

1630163616375

163816391642100

ジュンガル帝国

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ジュンガル帝国(ガルダン・ハーン時)の最大版図。

16725

5西



1723172417541755

1760

清朝以降のオイラト

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オイラトのキャラバン(20世紀)

西3017()30171717518[3]



195020000

en:Kalmyk Khanate18西[4]

西

使西

オイラト部クドカ・ベキ王家

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延安公主

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  1. コルイ・エゲチ公主(Qolui egeči >火魯/huŏlŭ,قولوی یکاجی/qūlūy īkājī)…ジョチの娘で、イナルチに嫁ぐ
  2. チチェゲン公主(Čičegen >闍闍干/shéshégàn,جیجاکان/jījākān)…チンギス・カンの娘で、トレルチに嫁ぐ
  3. トクトクイ公主(Toqtoqui >脱脱灰/tuōtuōhuī)…クビライ・カアンの孫娘で、トゥマンダルに嫁ぐ
  4. □□公主…名前や出自は伝わっていないが、ベクレミシュに嫁ぐ
  5. □□公主…名前や出自は伝わっていないが、シーラップに嫁ぐ
  6. 延安公主…名前や出自は伝わっていないが、延安王エブゲンに嫁ぐ

『元史』に記載のないクドカ・ベキ家に嫁いだチンギス・カン家の女性

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  1. エルテムル(Eltemür >یلتمور/īltīmūr)…トルイの娘で、バルス・ブカに嫁ぐ
  2. モングルゲン(Möngülügen >منکولوقان/munkūlūkān)…フレグの娘で、チャキル、タラカイ父子に嫁ぐ
  3. ノムガン(Nomuγan >نوموغان/nūmūghān)…アリクブケの娘で、チョバンに嫁ぐ

構成部族

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四オイラト

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八部族連合

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17世紀のオイラトは八部族連合であったが、「四(ドルベン)オイラト」と自称していた。[5]

[5]

ダライ・ラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与

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16201630daicin gurun, 

(一)1636

(二)

(三)




オイラト本国における歴代ハン
部族 称号(チベット語、括弧内はモンゴル語) 時期
トゥルバイフ ホシュート テンジン・チューキ・ギャルポ(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン) 1637年
オチルト ホシュート セチェン・ギャルポ(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン) 1666年
ガルダン ジュンガル ガンデン・テンジン・ボショクトゥ・カン 1678年
アユシ(アユーキ) トルグート ダイチン・アユシ・カン 1697年
オイラト本国における歴代ホンタイジ
部族 称号(チベット語、括弧内はモンゴル語) 在位
ホトゴチン ジュンガル バートル・ホンタイジ
1637年 - 1653年
センゲ ジュンガル ホンタイジ 1653年 - 1670年
ガルダン ジュンガル ホンタイジ 1671年 - 1678年(1678年から1696年までハーン)
ツェワンアブタン ジュンガル エルデニ・ジョリクトゥ・ホンタイジ 1694年 - 1727年
ガルダンツェリン ジュンガル ホンタイジ 1727年 - 1745年
ラマダルジャー ジュンガル ホンタイジ 1750年 - 1752年
ダワチ ジュンガル ホンタイジ 1753年 - 1755年

※チベットではグーシ・ハーン一族のダヤン家(グーシ・ハーンの長子ダヤンの一族)が代々ハン号を独占的に継承し、ドルジ家(グーシ・ハーンの第6子ドルジの一族)、タシ・バートル家(グーシ・ハーンの第10子タシ・バートルの一族)が順次ホンタイジ号を授かった。詳細はグシ・ハン王朝を参照。

脚注

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  1. ^ 『秘境の天山モンゴル』1996年・本郷弘著
  2. ^ ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(1989年平凡社ISBN 4582801102)p309-311
  3. ^ 宮脇2002,p226-227
  4. ^ 宮脇2002,p260-261
  5. ^ a b 宮脇2002,p146

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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