疎開道路

第二次世界大戦中に空襲による延焼防止を目的に建物を疎開させ敷設、拡幅された道路の総称


荒川区の疎開道路

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通称「疎開通り」。東尾久6-17先から東尾久1-1先明治通りまでの区道、約1360メートル。整備後、公式な愛称が「尾久の原防災通り」と決まる[1]

大阪の疎開道路

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(11m)123

1944219443510[2][3]

横浜の疎開道路

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根岸疎開道路

194414111061608m455
  • 根岸疎開道路 馬場町 - 原町、900m
  • 坂下疎開道路 滝頭二丁目 - 坂下町、500m
  • 滝頭疎開道路 丸山二丁目 - 中浜町、800m
  • 疎開道路 久木町 - 中浜町、350m
  • 磯子橋通疎開道路 下町 - 西町、770m

福岡の疎開道路

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福岡市博多区の御供所地区にある道路愛称。戦争直前の1945(昭和20)年、米軍の空襲を予想した福岡市が着手した。6町にわたり約600メートルの長さの横断道路造りだった[4]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 荒川区 道路愛称名が「尾久の原防災通り」に決定しました
  2. ^ 『東成区史』(川端直正 編,1957年)
  3. ^ 『猪飼野郷土誌』(猪飼野保存会,1997年3月)
  4. ^ 福岡市ホームページ『博多区の道路愛称』(http://www.city.fukuoka.lg.jp/hakataku/t-shinko/shisei/hakatadouroaisyou/map-4.html#9 2016年2月23日アクセス)

関連項目

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