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白井城
群馬県
本丸跡
本丸跡
城郭構造 崖端城
天守構造 不明
築城主 長尾景仲
築城年 15世紀前半
主な城主 白井長尾氏、本多氏
廃城年 1623年
遺構 石垣、土塁、堀
指定文化財 渋川市指定史跡[1]
位置 北緯36度30分32.4秒 東経139度00分37.8秒 / 北緯36.509000度 東経139.010500度 / 36.509000; 139.010500 (白井城)座標: 北緯36度30分32.4秒 東経139度00分37.8秒 / 北緯36.509000度 東経139.010500度 / 36.509000; 139.010500 (白井城)
地図
白井城の位置(群馬県内)
白井城

白井城

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概要

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西8001200西宿



[2]71527退

西31567361578373241015823181590515

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絵図

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寛政4年(1792年)までに作成された白井城絵図[3]がある。

現状

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現在城址の大部分は農地や宅地などになっているが、本丸周辺は、2004年(平成16年)3月31日に渋川市指定史跡に指定されて整備され、土塁石垣などが残る[1]

脚注

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  1. ^ a b c 「白井城址」渋川市公式HP
  2. ^ ただし、黒田基樹は長尾景春の乱後、白井城は山内上杉氏による接収後、同氏を支援してきた越後上杉氏の出城となっていた状態で永正7年(1510年)に景春が白井城奪還を計画している事、白井城における長尾氏の記録が再びみられるようになるのは大永4年(1524年)であることから、長尾景春の乱後に白井長尾家が白井城に復帰するまでに相当の年月がかかったとみている(黒田基樹「長尾景春論」 黒田編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2)。
  3. ^ 群馬県立歴史博物館蔵長尾輝景関係文書(群馬県立歴史博物館 2011, p. 45(写真掲載))

参考文献

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  • 山崎一『群馬県古城塁址の研究』群馬県文化事業振興会、1971年-1972年
  • 群馬県立歴史博物館 編『関東戦国の大乱:享徳の乱、東国の30年戦争(第92回企画展)』群馬県立歴史博物館、2011年。 

関連項目

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外部リンク

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  • 日本の城がわかる事典『白井城』 - コトバンク
  • 真田幸綱(真田幸隆)・信綱父子が攻略した「白井城」~上杉氏・武田氏・北条氏の争いの舞台~