白川町 (名古屋市)
名古屋市中区の地名
白川町 | |
---|---|
北緯35度09分51.17秒 東経136度53分59.74秒 / 北緯35.1642139度 東経136.8999278度 | |
国 |
![]() |
都道府県 |
![]() |
市 |
![]() |
区 |
![]() |
町名制定 | 明治4年[1] |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日[2] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[3] |
ナンバープレート | 名古屋[4] |
位置は国土地理院1万分の1『名古屋東南部』(1955年)による |
地理
編集東は末広町、西は南桑名町筋、南は日出町・南桑名町、北は八百屋町・横三ツ蔵町に接していた。
学区
編集人口
編集国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 0人[5] | (「アメリカ村」191人[5]) | ||
1955年(昭和30年) | 50人[5] | (「アメリカ村」121人[5]) | ||
1960年(昭和35年) | 53人[6] | |||
1965年(昭和40年) | 58人[6] |
歴史
編集地名の由来
編集付近を流れていた紫川に由来する[7]。紫川は清流に戻ることを願い、明治に白川と名称を改めている[7]。
沿革
編集
●前身である光明寺町はその名の通り、同名の寺院に由来する町人町であった[8]。また、石切町は南寺町とも称される地域であり、竹薮が開発され元治元年︵1658年︶に町家となった町であった[8]。
●明治4年 - 光明寺町および石切町を併せ、愛知郡白川町として成立[1]。
●1878年︵明治11年︶12月28日 - 名古屋区成立に伴い、同区白川町となる[1]。
●1889年︵明治22年︶10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市白川町となる[1]。
●1908年︵明治41年︶4月1日 - 中区成立に伴い、同区白川町となる[1]。
●1944年︵昭和19年︶2月11日 - 栄区成立に伴い、同区白川町となる[1]。
●1945年︵昭和20年︶11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区白川町となる[1]。
●1963年︵昭和38年︶3月20日 - 入江町・日出町・南桑名町・南長島町・南伏見町・八百屋町・横三ツ蔵町の各一部を編入する[1]。また、一部が鉄砲町に編入される[9]。
●1966年︵昭和41年︶3月30日 - 1丁目から5丁目が栄二丁目に編入される[8][9]。
●1969年︵昭和44年︶10月21日 - 5丁目が大須二丁目に編入され、消滅[8][2]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h 名古屋市計画局 1992, p. 787.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 788.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b c d e 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 80.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
- ^ a b ロム・インターナショナル 2016, p. 190.
- ^ a b c d 名古屋市計画局 1992, p. 304.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 783.
参考文献
編集
●名古屋市総務局企画室統計課 編﹃昭和31年版 名古屋市統計年鑑﹄名古屋市、1957年。
●名古屋市総務局企画部統計課 編﹃昭和41年版 名古屋市統計年鑑﹄名古屋市、1967年。
●﹁角川日本地名大辞典﹂編纂委員会 編﹃角川日本地名大辞典23愛知県﹄角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
●名古屋市計画局﹃なごやの町名﹄名古屋市計画局、1992年3月31日。
●ロム・インターナショナル 編﹃名古屋を古地図で歩く本﹄2016年9月1日。ISBN 978-4-309-49950-5。