白銀大火

1961年に青森県八戸市で発生した大火

1961365291140

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概要

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台風4号の進路図
 
白銀大火の範囲
 
大火当時の写真
 
焦土と化した白銀町
 
活躍する消防隊員達

1961365291140435m

43621.7m37.4m/s3511292[2]

被害状況

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251500m200m30m27001000414725100[3]70%

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19615291140121152521145





1[4]

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復興事業

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[5]調1::調[2]


その他

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当時の八戸市消防長によると、「ここ(白銀地区)を整備すれば神戸以上の商業都市ができるが、火災になるとおっかない」という忠告を東京大学の藤田博士から大火前に受けていた中で発生した[2]

関連する災害

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同日には岩手県田老町(当時、現:宮古市)でも「三陸大火」「三陸フェーン大火」と呼ばれる大規模火災が発生している[6](一部の初期報道やのちの出版資料等では白銀大火と三陸大火を混同、または両大火を「三陸大火」と総称している例がみられる)。

脚注

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  1. ^ https://hachinohe-konjaku.blogspot.com/2009/03/blog-post_15.html?m=1
  2. ^ a b c d e 風と炎-八戸市 1962年5月29日発行
  3. ^ 1961年(昭和36年)と2007年(平成19年)の当時消費者物価指数を比較)2005年(平成17年)の物価を対比
  4. ^ 灯盡 : 白銀大火40周年記念誌-白銀振興会 2002年
  5. ^ 当時の首都圏対青森方面の東北本線急行列車は特急はつかりをはじめ、多くが仙台から南は常磐線を経由していた。
  6. ^ 「昭和36年5月末の三陸沿岸大火による森林被災状況についての調査報告」(1965-02)”. 東北支場経営部経営第4研究室. 2020年12月13日閲覧。

参考文献

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  • 楠美鐵二(1981)「青森県百科事典」東奥日報社

関連項目

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