石井孝
日本の歴史学者
経歴 編集
東京に生まれた。実家は栃木県安蘇郡田沼町戸奈良︵現佐野市︶の豪農であったという[1]。
1927年に栃木県立佐野中学校[2]を、1930年に松本高等学校[3]を卒業。1933年東京帝国大学文学部国史学科卒業[4]。東京大学史料編纂所所員を勤め、これから約10年間、﹃大日本古文書・幕末外国関係文書﹄の編集に従事した。1930年代は、外国に所在する資料の調査・収集も開始され、国内外の一次史料をいち早く利用することが可能だった。このことが石井の研究スタイルを決定づけた[1]。
幕末維新期の研究に多くの成果を残した[† 1]。文学博士。
東京帝大史料編纂所史料編纂官補、高知高校教授[5]、濱松高等専門学校教授を経て、大阪高校教授[6]などを経て、1950年大阪大学教授、1953年横浜市立大学教授、1958年東北大学教授、1976年津田塾大学教授を歴任。
1996年5月6日に死去した。86歳没。
業績 編集
●石井の学風は、徹底した史料に依拠して論じる実証史学であった。 ●﹃横浜市史﹄の総括責任者として膨大な資料をまとめたことが特記される[7]。 ●岩倉具視による孝明天皇毒殺説を唱えて、原口清︵当時名城大学商学部教授︶と論争した。 ●大岡昇平が森鷗外の作品﹁堺事件﹂を批判する際、論拠としたのが﹃明治維新の国際的環境﹄である。著書 編集
●幕末貿易史の研究 日本評論社 1944︵日本歴史学大系 第4巻︶ ●幕末の外交 三一書房 1948︵新日本歴史双書 近世 第5︶ ●明治維新の国際的環境 吉川弘文館 1957 ●明治維新の舞台裏 岩波新書 1960 ●学説批判 明治維新論︵編︶吉川弘文館 1961 ●維新の内乱 至誠堂 1968 ●日本開国史 吉川弘文館 1972︵2010年に復刻版 ISBN 978-4-642-06361-6︶ ●勝海舟 吉川弘文館 1974︵人物叢書︶ ●港都横浜の誕生 有隣堂 1976︵有隣新書︶ ●明治初期の国際関係 吉川弘文館 1977 ●幕末維新期の研究︵編︶吉川弘文館 1978 ●幕末非運の人びと 有隣堂 1979︵有隣新書︶ ●明治初期の日本と東アジア 有隣堂 1982 ●横浜売込商甲州屋文書︵編︶有隣堂 1984 ●戊辰戦争論 吉川弘文館 1984 ●幕末開港期経済史研究 有隣堂 1987 ●明治維新と自由民権 有隣堂 1993 ●明治維新と外圧 吉川弘文館 1993 ●近代史を視る眼 開国から現代まで 吉川弘文館 1996 ●幕末維新論集6 維新政権の成立 吉川弘文館 2001 ●幕末維新論集3 幕政改革 吉川弘文館 2001 ●戊辰戦争論 歴史文化セレクション 2008脚注 編集
注釈 編集
- ^ 『幕末貿易史の研究』 日本評論社 1944年・『明治維新の国際的環境』 吉川弘文館 1957年・『日本開国史』 吉川弘文館 1972年・『明治維新の国際的環境』 吉川弘文館 1957年・『明治初期の日本と東アジア』 有隣堂 1982年・『戊辰戦争論 吉川弘文館』 1984年など
出典 編集
(一)^ ab保谷徹﹁﹃日本開国史﹄を読む﹂︵石井孝 ﹃日本開国史﹄ 吉川弘文館 2010年復刻版 407ページ︶
(二)^ 東海林静男 1996
(三)^ 松本高等学校 編﹃松本高等学校一覧 昭和5年至昭和6年﹄松本高等学校、1930年8月12日、95頁。NDLJP:1449056/52。
(四)^ ﹃東京帝国大学一覧 昭和8年度﹄東京帝国大学、1933年7月5日、523頁。NDLJP:1453461/270。
(五)^ ﹃官報﹄第4895号、昭和18年5月11日、p.238.NDLJP:2961400/4
(六)^ ﹃官報﹄第5676号、昭和20年12月12日、p.87.NDLJP:2962181/2
(七)^ 保谷徹﹁﹃日本開国史﹄を読む﹂︵石井孝 ﹃日本開国史﹄ 吉川弘文館 2010年復刻版 408ページ︶
参考文献 編集
- 東海林静男「石井孝氏の訃(学界消息)」『日本歴史』第583号、吉川弘文館、1996年、138-139頁。