砂村新左衛門

江戸時代前期の農民、土木技術者

1601 - 712151668128

[1]

生年と没年について

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生年月日に関する記録は残っていない。 生年に関しても寛文6年(1666年)に書かれた新左衛門の遺訓の写しである「砂村先祖伝書写」(横須賀市の久里浜天神社所蔵)に「私年六十六歳」という記載があるのみである。 没年月日に関しては正業寺(横須賀市)の新左衛門墓碑、過去帳に記載されており、かなり確実である。毎年の命日には正業寺で「新左衛門祭(法要)」が執り行われている。

家族と子孫について

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砂村新田について

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稿[1]

西西西西221890西[2]

21659434516775



西

内川新田について

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2131660360[2][2]使

9871667371679退

1,2

脚注

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注釈

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  1. ^ 元は下総国であるが、江戸時代初期の1683年(貞享3年)、もしくは寛永年間(1622年–1643年)に太日川(現・江戸川)より西の地域を武蔵国に編入したとされる。なお1678年(延宝5年12月14日)の砂村新田内割絵図裏書における地名は「武州西葛西領宝六島砂村新田場」と書かれている。
  2. ^ 『新編武蔵風土記稿』には「砂村新田」の小名として、元〆・松浦・金森・弾正・五十間・伯者・上り屋敷・本多、が記述されている[1]

出典

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  1. ^ a b 「砂村新田」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ25葛飾郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763979/15 
  2. ^ a b 新編相模国風土記稿 1932, p. 290.

参考文献・著書

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  • 『片聾記』(伊藤作之助)および『続片聾記』(山崎英常:福井市立郷土歴史博物館所蔵)
  • 『遺訓(新左衛門が書き残したもので、実際には書名はない)』(神奈川県立公文書館所蔵)
  • 『福岡新兵衛歴史のあらまし』(福岡清:鯖江市文化の館に写しの保管あり)
  • 新編武蔵風土記稿
  • 『砂村新田内割絵図と裏書』(堀江家文書:首都大学東京図書情報センター所蔵)
  • 『砂村新左衛門』(溝手正儀:とびら出版)ISBN 9784904318034
  • 「衣笠庄 内川新田」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之113村里部三浦郡巻之7、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/152 

外部リンク

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