神社合祀

神社の合併政策
神社合祀令から転送)


前近代の神社合祀

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岡山藩の神社合祀

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5(1665)10,528716381,0366[1]

水戸藩の神社合祀

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6(1666)10987(1667)[2]

1830廿[3][4]

津和野藩の神社合祀

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長州藩の神社合祀

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天保13年(1842年)、長州藩村田清風は淫祠を廃し一村一社とする改革を実行、寺社堂庵9,666、石仏・金仏12,510を破却。国学者近藤芳樹は式内社は正祀それ以外は淫祠と述べ、岩政信比古『淫祠論評』は民衆の不安が高まると批判した[5][6]

明治時代の神社合祀

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慶応四年(1868年)、神仏分離令がだされる。廃仏毀釈で鹿児島県では寺院は一つ残らず廃された[7]

王政復古……祭政一致の制に復し天下の諸神社を神祇官に属す……

慶応四年(明治元年)三月十三日,第百五十三,太政官布告、[8]

一 中古以来、某権現或は牛頭天王之類其外仏語を以神号に相称候神社不少候何れも其神社の由緒委細に書付 早々可申出候事…… 一 仏像を以神体と致候神社は 以来相改可申候事……

慶応四年(明治元年)三月二十八日,第百九十六,太政官布告、[9][10]

明治2年(1869年)6月10日、府県へ式内社・崇敬社の調査記録の提出を通達。明治3年(1870年)、調査は難航し提出期限が延長された。

先達て布告有之候延喜式神名帳に所載諸国大小之神社幷に式外にても大社之分或は即今府藩県側近にて崇敬之神社等精しく可申出事
諸国神社 敕願所之分由緒社伝御奉納之品等巨細取調可差出事 右之通に候間此旨相達候事

通達,明治二年六月十日、[11][12]

延喜式神名帳所載諸国大小之神社現存之分社勿論衰替廃絶之向式外にても大社之分或は即今府藩県側近等にて崇敬之神社取調可届出は兼て御布令之通に候處差向官幣神社之分詳細取調当九月限無遅滞神祇官へ可届出候事
但各社同名所在混雑不分明之社は精精遂穿鑿其上難相分向は巨細書取を以て同官へ可伺出事

明治三年二月二十九日,太政官布告、[13][14]

41871514[15][16]

沿 
明治四年(1871年)五月十四日太政官布告第二百三十四、[17]

明治4年5月14日太政官布告第二百三十五にて官社(官幣大社・官幣中社・官幣小社・別格官幣社・国幣大社・国幣中社・国幣小社)、諸社(府社・藩社・縣社・郷社)という神社の等差が設定され近代社格制度がはじまる。

淫祠とは「神典正史に被載候諸社は勿論所由ありて禁来候霊祠等は淫祠と申間敷筋に候事」と明治二年(1869年)三月五日付の松江藩伺に対する回答で説明されている[18]

官社以下定額及神官職員規則等別紙の通被 仰出候、尤府藩県社・郷社の分は先達て差出候明細書を以取調 区別の上追て神祇官より差図に可及候条……官幣国幣官社以外府藩県社郷社二等を以て天下諸社の等差とす右官社定額の外式内及国史見在の諸社期年検査を歴て更に官社に列すへし……

明治4年5月14日 太政官布告235号、[17]

第三十条 淫祠無檀無住の寺院を廃する事

明治四年八月十九日「大蔵省事務章程節録」、[19]

明治5年(1872年)神社の整理は教務省管轄となり「別段の由緒格式等も無の社寺にて従来及衰頻永続難渋の向等廃合の所分允当に全るの分」がその対象となったが混乱が起き通達を出した[18]

自今社寺を合併し及其所属の地に關渉する處分は各地方官に於て其事由を明細取調教務省へ可伺出事

教務省明治五年三月二十八日第百四號、[20]

神社寺院合併等の儀者事由明細取調教部省へ可相伺旨第百四号布告有之候右は強て合併可致との御旨意には無の従来氏子等も無の社殿頗敗し無檀無住にて堂宇破壊し又は小社小寺に付永久取続の目途無之分は諸般故障の有無糺し廃合の適宜を勘酌し詳悉調書を以て当省へ可伺出事に候条各地方庁区区之処分無之様可致候事

教務省明治五年六月十日第六号府県、[21]

明治7年(1874年)4月特選神名牒の編纂がきまり、6月29日府県へ式内社等の調査を布達した。

今般於当省神名牒纂定致候條各管内延喜式内幷国史見在の神社にて当今其所在未定或は社地堙埋の分は無遺漏捜索検覈致し毎社考証書及絵図面をも相添可差出且又式帳国史外と雖も格別の古社……幷に古社に非らすも其地方に深き由縁の神社……有之候はは当今社格の有無に拘らす別紙雛形に照準逐一取調可申尤右神社の儀に付考証等有之者は無忌憚書出候様管下人民へも普く相達来る九月限り取纒め可差出此旨相達候事……

教務省達明治七年六月二十九日第二十八号府県、[22][23]

7610()[24]

121879 [25][26]

15(1882)418(1885)[27]

271894227[28]

社格制度

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 殿殿殿殿殿
 
 
 
   
 

 簿
明治30年(1897年)府県郷村社昇格内規、[29]
明治39年(1906年)4月28日、神饌幣帛料公費支出(勅令第九六号)[30]

明治末期の神社合祀

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3918981916854251[31][32][31]36152421165[33]


神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件, 明治三九年年八月十日勅令第二百二十号、[34]

目的

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[35]




合祀政策の経緯

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1906391西21914320791


合祀反対運動

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[35]191043[]

合祀された神社の復祀

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[35]殿

神社合祀の禍根と神社神道の分裂

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戦後の復祀の動きと共に、かつての強制的な合祀の政策に対する反感が業界内で表面化した。京都府では官国幣社主導の神社本庁加盟の動きに反発する形で神社本教が分離独立、北海道では北海道神社協会が神社本庁と決別する形で設立された。

研究書籍・論文

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︿1979ISBN 4-00-420103-9 

麿 81-5119811231ISSN 0387-6543https://hdl.handle.net/10097/001279832021215 

西341942

171958

1961

51962

1968

61962

1976

811964

401966

2161969

1987

1988

Wilbur M. Fridell,Japanese shrine mergers, 1906-12 : State Shinto moves to the grassroots,Sophia University,1973

4191968

221972

231973

1977

31973

1974

1241971

141976

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1982

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1171984

2631985

1992

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61979

71980

91981

101982

1031983

641985

関連項目

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脚注

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出典

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(一)^ 4025-Dec-1996363-382202135 

(二)^ 46119772021328 

(三)^  1979, pp. 3839.

(四)^ 祿駿1825-Mar-196696-1152021218 

(五)^  1979, pp. 3942.

(六)^ PDF200202032021218 

(七)^ 鹿 (2012627). . 鹿. 鹿. 2021218

(八)^ . 3191263doi:10.11501/787948NDLJP:787948https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/802021220 

(九)^ . 3191277doi:10.11501/787948NDLJP:787948https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/872021220 

(十)^ PDF2010555-722021215 

(11)^ 34189182doi:10.11501/994206https://dl.ndl.go.jp/pid/994206/1/60202219 

(12)^ 19252doi:10.11501/1919019https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019/1/7202219 

(13)^ 34189182doi:10.11501/994206https://dl.ndl.go.jp/pid/994206/1/60202219 

(14)^ 19253doi:10.11501/1919019https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019/1/7202219 

(15)^ 20171-6ISBN 978-4335160851 

(16)^  .  , . . pp. 31-38. 202135

(17)^ ab. 41912187doi:10.11501/787951NDLJP:787951https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787951/1302021215 

(18)^ ab 1981.

(19)^ .     . . . 2021215

(20)^ 341891127doi:10.11501/994206https://dl.ndl.go.jp/pid/994206/1/82202219 

(21)^ . 519121270doi:10.11501/787952NDLJP:787952https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/7002021226 

(22)^ 341891141doi:10.11501/994206https://dl.ndl.go.jp/pid/994206/1/89202219 

(23)^ 192510doi:10.11501/1919019https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019/1/11202219 

(24)^ . 719121196doi:10.11501/787954NDLJP:787954https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787954/6712021220 

(25)^ . 121912604doi:10.11501/787959NDLJP:787959https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787959/3552021215 

(26)^  1981, pp. 4142.

(27)^  .  , . . p. 39. 202135

(28)^ . 27191234doi:10.11501/787993NDLJP:787993https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787993/882021226 

(29)^ 362005311-19ISSN 1347-78892021216 

(30)^ . 391912106doi:10.11501/788045NDLJP:788045https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788045/2152021226 

(31)^ ab 19968312021328 

(32)^  (1911), , , p. 124, doi:10.11501/784675, NDLJP:784675, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784675/73 2021215 

(33)^  . 1. . 2021215

(34)^ , , , https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/F0000000000000020855 2021215 

(35)^ abc312006656-78ISSN 1881-4859CRID 1050570022171770624 

外部リンク

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