慶應義塾大学
慶應義塾大学 | |
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大学設置 | 1920年 |
創立 | 1858年 |
創立者 | 福澤諭吉 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 慶應義塾 |
本部所在地 |
東京都港区三田二丁目15番45号 北緯35度38分56.2秒 東経139度44分34.5秒 / 北緯35.648944度 東経139.742917度座標: 北緯35度38分56.2秒 東経139度44分34.5秒 / 北緯35.648944度 東経139.742917度 |
学生数 | 33,518 |
キャンパス |
日吉(神奈川県横浜市港北区) 三田(東京都港区) 矢上(神奈川県横浜市港北区) 信濃町(東京都新宿区) 湘南藤沢(神奈川県藤沢市) 芝共立(東京都港区) 浦和共立(埼玉県さいたま市緑区) 新川崎タウンキャンパス(神奈川県川崎市幸区) 殿町タウンキャンパス(神奈川県川崎市川崎区) 鶴岡タウンキャンパス(山形県鶴岡市) 慶應丸の内シティキャンパス(東京都千代田区) 慶應大阪シティキャンパス(大阪市北区) |
学部 |
文学部 経済学部 法学部 商学部 医学部 理工学部 総合政策学部 環境情報学部 看護医療学部 薬学部 |
研究科 |
文学研究科 経済学研究科 法学研究科 社会学研究科 商学研究科 医学研究科 理工学研究科 政策・メディア研究科 健康マネジメント研究科 薬学研究科 経営管理研究科 システムデザイン・マネジメント研究科 メディアデザイン研究科 法務研究科 |
ウェブサイト |
www |
概説 編集
大学の特徴 編集
塾訓、目的 編集
教育および研究 編集
﹁義塾﹂の﹁義﹂は社会公共のため協力して事を行うという意味があり、これを念頭に置いている[25]。大きな柱は﹁医療﹂と﹁研究﹂である。蘭学から適塾︵後の大阪大学︶、慶應義塾医学所、北里柴三郎による伝染病研究所、北里研究所、満鉄衛生研究所までの歴史を汲む慶應義塾伝統の学問に立脚する医学は今日、アメリカ合衆国ハーバード大学医学大学院と1890年︵明治23年︶以来の長年の研究リンクを持ち[26]、伝染病研究所を母体とする歴史を持つ理化学研究所と連携、協力を行っている[27]。 太平洋戦争終戦後は旧中島飛行機株式会社青年学校へ基礎学科の研究室を約十年間移し、研究活動を行っていた︵のちの武蔵野分校︶。グローバルCOEプログラム取得や慶應医学賞設立も行っている。大学部時代の各学科の特徴としては、四書五経などの研鑽を積んだのち[28]、数学を基礎学とした有形学から入って、無形の学へ進む編成が成されており、この伝統は当世の各学問分野においても根付いている。 実学の精神である﹁実証に基づく理論的、合理的な科学︵サイエンス︶﹂︵窮理図解︶や﹁自我作古﹂の精神等[29]から伝統的な学術研究に加え、医療、産官学連携や知財活動などを通した研究まで行っており、科学研究費補助金は全体の10%に過ぎない。 戦前には枢密顧問官へ定期的に器量人を輩出、昨今は日本人宇宙飛行士を2名出している。文系では、その他の官公私立大などが行うマスプロ教育を忌避しており、ゼミナールを中心とした少人数教育を一貫して追求している[30]。 近年における各国の調査による世界大学ランキングでは、イギリスの﹃THE世界大学ランキング﹄︵2022年︶で私立総合大学1位、中国の上海交通大学による﹃世界大学学術ランキング﹄で私立総合大学1位、アメリカ合衆国のトムソン・ロイター社による﹃The World's Most Innovative Universities﹄で私立総合大学1位と、日本の私立大学ではトップの教育及び研究力を堅持している[31]。 兵法学風および特色 編集
カリキュラム制定をはじめとする近代的教育システムのほとんどを日本で最初に導入した学校として知られている。日本の学校で最初に定額の授業料を納入させたのは慶應義塾であり、これは福澤諭吉の発案である[9][10]。また、古来日本の風習にはなかった演説を初めて取り入れ、明治8年には日本最初の演説会堂三田演説館が建てられた[44]。沿革 編集
前史 編集
慶應義塾 編集
慶應義塾大学部 編集
旧制慶應義塾大学 編集
新制慶應義塾大学 編集
20世紀 編集
21世紀 編集
●2001年︵平成13年︶ ●4月 - 看護短大を看護医療学部に改組。先端生命科学研究所設立。丸の内シティキャンパス開設。福澤公園に旧制四学校︵商業学校・商工学校・工業学校・高等部︶記念碑を建立。 ●5月 - 鶴岡タウンキャンパス開設。 ●10月 - 総合医科学研究センター設立。 ●2002年︵平成14年︶ ●1月 - 日吉キャンパスに来往舎︵研究棟︶竣工。 ●4月 - 理工学部に生命情報学科を設置。湘南藤沢キャンパスに教職課程設置。 ●2003年︵平成14年︶ ●8月 - 看護短大廃止。 ●11月 - 中等部綱町グラウンドに慶早戦100周年記念碑を建立[152]。 ●2004年︵平成16年︶ ●4月 - 大学院法務研究科︵法科大学院︶を開設。 ●6月 - メディアネットを廃止し、メディアセンターとして独立[153]。 ●2005年︵平成17年︶ ●1月 - 国際連携推進機構︵OGI︶ならびに国際連携推進室設置[154]。 ●3月 - 三田キャンパス南館竣工。 ●4月 - 大学院健康マネジメント研究科修士課程開設。 ●2006年︵平成18年︶3月 - 下田学生寮開設。 ●2007年︵平成19年︶ ●2月 - 先導研究センター設立︵2020年廃止︶[155]。 ●4月 - 大学院健康マネジメント研究科後期博士課程開設。 ●7月 - 図書館蔵書デジタル化でGoogle社と提携。 ●2008年︵平成20年︶ ●4月 - 学校法人慶應義塾と学校法人共立薬科大学が合併、薬学部と大学院薬学研究科を設置。同年大学院システムデザイン・マネジメント研究科と大学院メディアデザイン研究科を開設。 ●5月 - 大阪市福島区中之島の再開発地区﹁ほたるまち﹂に﹁慶應大阪リバーサイドキャンパス﹂を設置。 ●6月 - G8大学サミット開催︵北海道大学︶[156]。 ●8月 - 協生館竣工︵日吉︶。 ●10月 - イギリスのチャールズ3世︵当時皇太子︶が三田キャンパスを訪問。 ●11月 - 慶應義塾創立150年記念式典にて上皇明仁・上皇后美智子が臨席、天皇が﹁おことば﹂を述べる[157]。 ●2009年︵平成21年︶ ●1月 - ダボス会議にて﹁東大・慶應レセプション﹂を開催[158]。 ●3月 - 第4校舎独立館竣工︵日吉︶。 ●10月 - 東京工業大学との副専攻制度、単位互換、学生交流が開始[159][160]。東京医科歯科大学を幹事とした医学系大学産学連携ネットワーク協議会︵現‥医療系産学連携ネットワーク協議会︶(medU-net) を開設[161]。 ●11月 - 三田キャンパス南校舎解体。 ●2010年︵平成22年︶1月 - MBA連携協定を、京都大学経営管理大学院、神戸大学大学院経営学研究科の3校で締結[162]。 ●2011年︵平成23年︶ ●2月 - 矢上キャンパスで弥生時代から奈良時代の大集落、60棟以上の竪穴建物跡等を検出[163][164]。 ●3月 - 東日本大震災の影響で2010年度卒業式が中止[165]、2011年度入学式が5月に延期[166]。 ●4月 - 三田キャンパス新南校舎竣工。 ●5月 - 塾長任期を2期8年までとする。 ●2012年︵平成24年︶4月 - 慶應義塾図書館開館100年記念式典開催。 ●2013年︵平成25年︶ ●4月 - 大学部理財科発足125年を記念し、4月1日付けで慶應義塾大学経済研究所︵所長‥吉野直行︶を設置[167]。 ●5月 - 慶應大阪シティキャンパス開設︵慶應大阪リバーサイドキャンパスを移転︶。 ●2014年︵平成26年︶3月 - 日吉塾生会館前に藤原工業大学開校の地記念碑を設置。 ●2015年︵平成27年︶ ●10月 - 大学部開設125年記念式典・講演会開催。 ●11月 - 野村ホールディングスと共同で、ベンチャーキャピタル・株式会社慶應イノベーション・イニシアティブ (KII) を設立[168]。 ●2016年︵平成28年︶4月 - 川崎市川崎区のキングスカイフロント内に殿町タウンキャンパスを開設。 ●2017年︵平成29年︶ ●2月 - 三田の福澤諭吉胸像を図書館旧館前から演説館前に移設[169]。 ●6月 - 三田インフォメーションプラザ開設[170]。 ●2018年︵平成30年︶ ●5月 - 大学病院1号館︵新病院棟︶開院[171]。 ●11月 - グローバル本部発足[172]。 ●2019年︵平成31年/令和元年︶ ●5月 - 慶應義塾図書館旧館の耐震補強および保存修理工事完了[173]。 ●9月 - 慶應義塾大学メディアセンターと早稲田大学図書館の間で図書館システム共同運用開始[50][174]。 ●2020年︵令和2年︶ ●3月 - 新・日吉記念館竣工[175]。 ●COVID-19の流行拡大による影響で、2019年度卒業式が中止、2020年度入学式が延期となった[176]。 ●2021年︵令和3年︶ ●4月 - 三田東別館にミュージアム・コモンズ (KeMCo) 開館[177]。 ●7月 - 図書館旧館内に福澤諭吉記念慶應義塾史展示館開館[178]。 ●2022年︵令和4年︶ ●5月 - 医学部開設100年記念事業による慶應義塾大学病院グランドオープン[179]。 ●7月 - 綱町グラウンドが日本野球聖地・名所150選に選定される。 ●2023年︵令和5年︶11月 - 予防医療センターが麻布台ヒルズに移転[180]。基礎データ 編集
所在地 編集
東京都と神奈川県に6キャンパスを擁するほか、全国各地にタウンキャンパスなどを展開している[181]。象徴 編集
校歌 編集
歌 | 備考 |
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慶應義塾塾歌 | 作詞:富田正文、作曲:信時潔。1940年に完成し、翌年1月三田大講堂で発表が行われた[182]。慶應義塾関係者は「塾歌」と呼び、大学のみならず、一貫教育校(高等学校、普通部、幼稚舎など)を含め、慶應義塾社中で広く歌われている。幼稚舎の授業では塾歌が扱われるため、一貫教育校出身者のほとんどが歌えるようになるが、歌えない外部の塾生も増えてきている。式典で塾歌が必要なときは全員に楽譜が配られる。酒席などで歌われることはないため、塾生同士の結婚式などでは、代わりに「若き血」が歌われる。 |
旧塾歌 | 現塾歌が制定されるまで使用された。作詞は角田勤一郎(塾員)、作曲は金須嘉之進による。1904年発表。なお、旧塾歌制定の前年に「慶應義塾之歌」(いわゆる旧々塾歌)がすでに歌われていた[183]。 |
若き血 | 若き血(わかきち)は応援歌。作詞・作曲とも堀内敬三。1927年に発表。東京六大学野球連盟の応援では1得点挙げるごとに観客が肩を組み若き血を合唱するなど、スポーツの応援では定番の曲となっている。「塾歌よりも若き血を歌える」という塾生もいる。歌詞の最後にある「陸の王者」は藤山一郎が「りくのおうしゃ(清音)」と歌っていたことから濁らないのが正式である、と塾関係者の一部ではいわれている。しかし、ほとんどの塾生・塾員は「おうじゃ」と濁音で歌っている。なお、携帯電話の着信メロディとしてダウンロードできる。 |
天は晴れたり | 作詞桜井弥一郎。ワシントン頌徳歌の替え歌[184]。初期の慶早戦以来の長命の応援歌である。 |
丘の上 | 作詞青柳瑞穂、作曲菅原明朗。1928年に発表。慶早戦に勝った時にのみ歌われる。 |
我ぞ覇者 | 我ぞ覇者は応援歌。作詞は平戸市の作詞家藤浦洸、作曲は福島市の作曲家古関裕而によるもの。1946年に発表。 |
ダッシュケイオウ | ダッシュケイオウは応援歌。1966年に発表。高校野球など慶應義塾大学とは関係ない学校でも使用される機会もある。 |
校旗・校色 編集
紋章 編集
エンブレムは、﹁ペンマーク﹂と呼ばれ、2つのペンを右を上にして斜めに交叉させたマークである。大学内にあるマンホールの蓋までこのシンボルマークが使われている。1990年︵平成2年︶、交換留学協定校である豪州クイーンズランド大学からの申し出をきっかけに、慶應義塾大学の新しい紋章が制定された。クイーンズランド大学キャンパス中庭を囲む回廊の石柱の一本一本には、それぞれ世界の著名大学の紋章が刻まれている。同大学の申し出とは、その一本に慶應義塾大学の紋章を加えたいというものであった。このような経緯により考案された新紋章のデザインは、ペンマークと塾旗の色調を基調として、英文大学名、義塾の創始年とペンマークの由来となった﹁ペンは剣よりも強し﹂という成句のラテン語表記“Calamus Gladio Fortior”から構成されている[188][注釈41]。マスコット 編集
マスコットは﹁ユニコン﹂。三色旗の上に描かれたものが応援の際などに使われる[131]。慶應義塾のアメリカンフットボール部や、バスケットボール部の愛称もユニコーンズである。かつて三田山上にあった大講堂正面玄関屋上に設置されていた。ただし、その姿はガーゴイル︵西洋建築の雨樋彫刻︶に似ており、本来のユニコーンとは著しく異なる[132]。1975年︵昭和50年︶に大講堂取り壊し後に保存されていた一基のユニコン像が中等部卒業生の寄附を元に修復、中等部玄関に設置された。1978年︵昭和53年︶には慶應義塾商工学校同窓会によって復元像が一基寄贈された。 かつて慶早戦など東京六大学野球の応援ではミッキーマウスが応援時のマスコット・キャラクターであった。しかしながら、著作権に関する意識が変化するにつれ、ディズニー社への慮りが顕在化し、現在では誰もがこのことを顧みない︵忘れられた︶過去のマスコットとなっている。赤煉瓦 編集
赤煉瓦は長年にわたり慶應義塾の知のシンボルとして大きな役割を果たしてきたとされている。幕末に伝来した煉瓦建築は、地震国である日本では、明治・大正までの期間しか造られず、その後の災害などで多くは現存していない。そのため、赤煉瓦と花崗岩による図書館旧館は、日本人によって設計された明治末年の西洋建築として稀少な建造物である。設計・監督は曾禰達蔵と中條精一郎。三田大講堂は東京大空襲で全焼し、現在は西校舎が建っている。戦後、象徴的な赤煉瓦建築の再興を図り、2000年に東館が完成した[189]。学部 編集
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文学部 編集
名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 文学部1年生はここにて、法学部、経済学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。 |
三田キャンパス | 東京都港区 | 文学部2-4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ(15名前後)に入る。 |
経済学部 編集
- 経済学科
- 前身の理財科は1890年に開設された。大学令による大学となった1920年(大正9年)、理財科は経済学部に改称。授業科目は経済学系統と商学系統の科目群に分類されており、1938年(昭和13年)には経済学科と商業学科が設置されたが、1946年(昭和21年)に経済・商業の2学科制は廃止された[192]。
環境経済学などの他の大学ではあまり開講されていない学問分野もある。Professional Career Programme (PCP) という、経済学教育を英語で行うということを特色としたプログラムが用意されている。授業はもとより、教員やTAとの連絡や会話も英語で行われている。これによって、英語力の強化と経済学を強みにしたキャリア構築の可能性を学生に提供している。PCPとしては、国内外の専門大学院進学の基礎となる力を身につけることを目標に掲げている。また、東京工業大学との単位互換を行っている。経済学部の生徒を対象に慶應義塾大学経済学部ハイド賞という公募論文大会が行われている。
名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 経済学部1,2年生はここにて、法学部、商学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。 |
三田キャンパス | 東京都港区 | 経済学部3,4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ(15名前後)に入ることで経済学研究を行う。 |
法学部 編集
名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 法学部1,2年生はここにて、経済学部、商学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。 |
三田キャンパス | 東京都港区 | 法学部3,4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミ(15名前後)に入ることで法学研究を行う。 |
商学部 編集
名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 商学部1,2年生はここにて、法学部、経済学部1,2年などの学生と共に、教養科目を受講。 |
三田キャンパス | 東京都港区 | 商学部3,4年生は、ここで本格的な授業を受講し、かつ少人数制のゼミもしくは専攻演習(15名前後)に入ることで商学研究を行う。 |
医学部 編集
沿革 編集
●1870年︵明治3年︶ - 慶應義塾の塾生前田政四郎の希望により、福澤諭吉がイギリス式の医学所の開設を決定する。 ●1873年︵明治6年︶ - 慶應義塾内に﹁慶應義塾医学所﹂が開設される。所長は慶應義塾出身の医師松山棟庵。また、杉田玄端を呼んで尊王舎を訓練の場所とした。 ●1880年︵明治13年︶ - 慶應義塾医学所が閉鎖される。名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 医学部1年生はここにて、法学部、経済学部などの学生と共に、教養科目を受講。 |
信濃町キャンパス | 東京都新宿区信濃町 | 2年生より6年生までは、ここで臨床医学を修得する。 |
理工学部 編集
沿革 編集
名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 理工学部1、2年生はここで他学部生と共に学ぶ。 |
矢上キャンパス | 神奈川県横浜市 | 矢上キャンパスは日吉キャンパスのすぐ北側に位置する。理工学部3、4年生および研究科生はここでより専門的な教育を受け、または研究活動もここで行う。 |
総合政策学部・環境情報学部 編集
- 総合政策学科、環境情報学科
- 総合政策学部と環境情報学部は湘南藤沢キャンパス (SFC) において、他の学部とは大きく違った独自の教育が実施されている。この節では両者に共通する特徴などをまとめる。
基本理念 編集
特徴 編集
大学では﹁学問の再編成﹂をキーワードとして自由度の高い履修システムを使用している。基本的に各授業には学年による履修制限を課さず、学部1年生から専門的な授業を履修でき、学部と大学院で共有する授業を多く設置している。また、﹁半学半教﹂の理念から学生、特に学部生の雇用に積極的である。具体的には図書館スタッフ、コンピュータやマルチメディアの相談員、キャンパス内の設備利用ガイドの編集員、教育補助員︵学部生はSA、院生はTAと称する︶などである。名称 | 所在地 | 備考 |
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湘南藤沢キャンパス | 神奈川県藤沢市 |
看護医療学部 編集
- 看護学科
名称 | 所在地 | 備考 |
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湘南藤沢キャンパス | 神奈川県藤沢市 | 看護医療学部1,2,4年生 |
信濃町キャンパス | 東京都新宿区 | 看護医療学部3,4年生 |
薬学部 編集
名称 | 所在地 | 備考 |
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日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 | 薬学部1年生はここにて、法学部、経済学部などの学生と共に、教養科目を受講。 |
芝共立キャンパス | 東京都港区芝公園 | 薬学科2年-6年生、薬科学科2年-4年生までは、ここで本格的な薬学教育・研究を行う。 |
浦和共立キャンパス | 埼玉県さいたま市 | 体育施設と薬学部附属薬用植物園がある。 |
通信教育課程 編集
実施学部 編集
文学部・経済学部・法学部の3学部に通信教育課程が置かれている。文学部は、第1類︵哲学を主とするもの︶・第2類︵史学を主とするもの︶・第3類︵文学を主とするもの︶に便宜上区分されている。経済学部は、カリキュラムに商学部系の科目を含んでいるが、専攻分野に基づく類は存在しない。法学部は、甲類︵法律学を主とするもの︶・乙類︵政治学を主とするもの︶に便宜上区分されている。卒業時に教員免許状の取得を希望する正科生入学者のための教職課程も併設されている[208][209]。入学の種類および入学資格 編集
入学選考は書類選考によるが、当該学部に入学するための一定の読書歴と、入学後の勉学計画・研究計画について明確なプランを持っていることが求められる。特にアカデミック・ライティングのために必要な日本語能力が求められる[210]。入学は4月1日入学・10月1日入学がある。名称 | 要件 |
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普通課程 |
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特別課程 |
分類 | 要件 |
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学士入学 |
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入学式 編集
単位修得 編集
●レポート課題により各科目のレポートを作成する[注釈47]。レポート提出後、当該科目の科目試験への受験申込が可能となる。科目試験は年に4回行われ、三田キャンパス以外の地方会場でも行われている。各群1科目、合計最大6科目まで受験できる。レポートと科目試験の両方の合格により当該科目の単位を修得できる。 ●スクーリングでの単位修得が必須となっている。開講科目は各キャンパスにより異なる。 ●夏期スクーリング︵I期・II期は日吉キャンパス、III期は三田キャンパスにて実施。︶ ●実験スクーリング︵夏期において日吉キャンパスにて行われる。希望者のみ受講できる。︶ ●体育実技スクーリング︵選択制で4単位まで卒業所要単位として加算される。日吉キャンパスにて夏期に行われる。︶ ●夜間スクーリング︵9月下旬から12月中旬まで毎週月曜日から金曜日まで三田キャンパスにて夜間に実施。︶ ●週末スクーリング︵秋に土日を利用した集中型のスクーリングを三田キャンパスにて開講している。︶ ●大阪スクーリング︵2013年度から慶應大阪シティキャンパスにて開講している。夜間スクーリングと週末スクーリングがある。︶ ●通年スクーリング︵通学課程の授業を一年を通して受講する特別なスクーリング。一定の条件が必要。︶ ●E-スクーリング︵2008年度から開講したインターネットを使用したメディア授業。2回のレポート提出と試験が必須となっている。︶ ●卒業論文が必修で8単位ある。卒業論文指導は年に2回、対面またはゼミ形式で行われる。一定の資格を満たした上で、卒業論文指導の登録手続きが必要となる。また、卒業論文の提出には卒業論文指導教員の許可が必要となる。 ●卒業論文提出後、卒業試験が行われる。卒業試験は卒業論文審査と総合面接試問からなる。3月卒業予定者は1 - 2月に、9月卒業予定者は9月に行われる。卒業要件 編集
●大学設置基準第七章第三十二条の規定により、通学課程と同様、124単位︵総合教育科目︵48単位︶+専門教育科目︵68単位︶+卒業論文︵8単位︶、認定単位も含む︶が必要となる。 ●予め卒業予定申告書の提出が必要となる。卒業予定申告書には卒業論文指導教員の署名捺印が必要である。慶友会 編集
通信教育課程の在学生が、学生間の学習上の啓発を目的として自主的に結成している学生団体で、北海道から鹿児島、海外まで、現在その数は50団体以上に及ぶ[211]。卒業式 編集
卒業式は通学課程と一緒である。学位記︵卒業証書︶は通学課程と同様のものが授与される[202][212]。研究科 編集
特に表記のないものは、修士課程ならびに博士後期課程がある。 ●文学研究科 ●哲学・倫理学専攻 ●美学美術史学専攻 ●史学専攻 ●国文学専攻 ●中国文学専攻 ●英米文学専攻 ●独文学専攻 ●仏文学専攻 ●図書館・情報学専攻 ●経済学研究科 ●経済学専攻 ●法学研究科 ●民事法学専攻 ●公法学専攻 ●政治学専攻 ●社会学研究科 ●社会学専攻 ●心理学専攻 ●教育学専攻 詳細は﹁慶應義塾大学大学院社会学研究科﹂を参照。 ●商学研究科 ●商学専攻 ●医学研究科 ●医科学専攻︵修士課程︶ ●医学研究系専攻︵博士課程︶ ●医療科学系専攻︵博士課程︶ ●理工学研究科 ●基礎理工学専攻 ●総合デザイン工学専攻 ●開放環境科学専攻 ●政策・メディア研究科 ●政策・メディア専攻 ●健康マネジメント研究科 ●看護・医療・スポーツマネジメント専攻 ●薬学研究科 ●薬科学専攻 ●薬学専攻︵博士課程︶ ●経営管理研究科︵ビジネススクール︶ ●経営管理専攻 詳細は﹁慶應義塾大学大学院経営管理研究科﹂を参照。 ●システムデザイン・マネジメント研究科 ●システムデザイン・マネジメント専攻 ●メディアデザイン研究科 ●メディアデザイン専攻 ●法務研究科︵法科大学院︵ロースクール︶︶ ●法務専攻︵専門職学位課程︶ ●法務専攻︵専門職︶— 修了生の新司法試験合格率・合格者数において、平成25年度には、一橋大学法科大学院、東京大学法科大学院などを上回り、全法科大学院中1位となった。直近の令和4年度司法試験合格者数についても、全法科大学院中で同点3位︵合格率全国4位︶を獲得する超名門校となっている[213][214]。詳細は﹁慶應義塾大学大学院法務研究科﹂を参照。 ●グローバル法務専攻 (LL.M)附属機関 編集
附属研究所 編集
附属センター 編集
附属病院 編集
●慶應義塾大学病院共同利用・共同研究拠点 編集
●慶應義塾大学パネルデータ設計・解析センター(PDRC)[215] ●パネル調査共同研究拠点メディアセンター 編集
博物館など 編集
出版会 編集
慶應義塾大学の出版部門として慶應義塾大学出版会がある。慶應義塾大学出版会は組織的に独立した株式会社であり、大学の附属機関ではない。しかしながら慶應義塾大学関係の書籍を出版するなど、大学本体との関わりが深いので、本節においてまとめた。詳細は該当記事を参照のこと。研究 編集
日本学術振興会 (JSPS) 事業21世紀COEプログラム 編集
年 | 分野 | 内容 |
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2002年 | 生命科学 | システム生物学による生命機能の理解と制御 |
化学・材料科学 | 機能創造ライフコンジュゲートケミストリー | |
情報・電気・電子 | アクセス網高度化光・電子デバイス技術 | |
人文科学 | 心の解明に向けての統合的方法論構築 | |
学際・複合・新領域 | 次世代メディア・知的社会基盤 | |
2003年 | 医学系 | 低侵襲・新治療開発による個別化癌医療確立 |
医学系 | 幹細胞医学と免疫学の基礎・臨床一体型拠点 | |
数学、物理学、地球科学 | 統合数理科学:現象解明を通した数学の発展 | |
機械、土木、建築、その他工学 | 知能化から生命化へのシステムデザイン | |
社会科学 | 市場の質に関する理論形成とパネル実証分析 | |
社会科学 | 多文化多世代交差世界の政治社会秩序形成 | |
社会科学 | 日本・アジアにおける総合政策学先導拠点 |
グローバルCOEプログラム 編集
年 | 分野 | 内容 |
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2007年 | 生命科学 | In vivoヒト代謝システム生物学拠点 |
情報、電気、電子 | アクセス空間支援基盤技術の高度国際連携 | |
人文科学 | 論理と感性の先端的教育研究拠点形成 | |
2008年 | 医学系 | 幹細胞医学のための教育研究拠点 |
機械、土木、建築、その他工学 | 環境共生・安全システムデザインの先導拠点 | |
社会科学 | 市場の高質化と市場インフラの総合的設計 | |
社会科学 | 市民社会におけるガバナンスの教育研究拠点 |
世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業 編集
年 | 分野 | 内容 |
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平成19年 | 中央アジア | 中央アジアにおける環境共生と日本の役割-価値創造に基づく地域研究のあり方 |
組織的な大学院教育改革推進プログラム 編集
年 | 分野 | 内容 |
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平成20年 | 人文社会学系 | 社会イノベータ育成コースの創設 |
医療系 | 創薬に向けた医薬科学を先導する人材の養成 |
質の高い大学教育推進プログラム(教育GP) 編集
年 | 内容 |
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平成20年 | メディカルプロフェショナリズム教育の推進 |
ユビキタス社会の問題発見解決型人材育成 |
キャンパス 編集
この記事は、全部または一部が他の記事や節と重複しています。 具体的には慶應義塾大学#キャンパス_2との重複です。 |
日吉キャンパス 編集
神奈川県 横浜市 港北区 日吉に所在する。 同大学で最も多くの学部が設置されているキャンパス。学部・学科での学習のほかに一般教養を学ぶ。 ●経済学部︵第1・2学年/履修タイプA・B︶ ●法学部︵第1・2学年︶ ●商学部︵第1・2学年︶ ●経営管理研究科 ●システムデザイン・マネジメント研究科 ●理工学部︵第1・2学年︶ ●文学部︵第1学年︶ ●医学部︵第1学年︶ ●薬学部︵第1学年︶ ●慶應義塾普通部︵男子中学校︶ ●慶應義塾高等学校︵男子高等学校︶三田キャンパス 編集
東京都 港区 三田に所在する。 同大学の本部や学校法人の法人本部も置かれ、﹁慶應義塾の代名詞﹂と呼ばれている。 ●経済学部︵第3・4学年︶ ●経済学研究科 ●法学部︵第3・4学年︶ ●法学研究科 ●法務研究科 ●商学部︵第3・4学年︶ ●商学研究科 ●文学部︵第2~4学年/全17専攻︶ ●文学研究科 ●社会学研究科 ●慶應義塾中等部︵男女共学・中学校︶ ●慶應義塾女子高等学校︵女子高等学校︶矢上キャンパス 編集
日吉キャンパスの近隣、神奈川県 横浜市 港北区 日吉に所在する。 理工学部・研究科の学生が通う。 ●理工学部︵第3・4学年︶ ●理工学研究科芝共立キャンパス 編集
東京都 港区 芝公園に所在する。 薬学部・研究科の学生が通う。 ●薬学部︵第2~6学年 ※第1学年も一部の授業で利用︶ ●薬学研究科信濃町キャンパス 編集
東京都 新宿区 信濃町に所在する。 医学部を中心に医療系3学部の学部生が学ぶ。 ●医学部︵第2~6学年︶ ●医学研究科 ●看護医療学部︵第3学年︶ ●薬学部︵一部の病院実習︶ ●大学病院湘南藤沢キャンパス 編集
神奈川県 藤沢市 遠藤に所在する。 看護医療学部の学部生および大学院生。総合政策学部/環境情報学部の全学年および大学院生が学ぶ。 ●総合政策学部/環境情報学部︵全学年︶ ●政策・メディア研究科 ●看護医療学部︵第1・2・4学年︶ ●健康マネジメント研究科 ●慶應義塾湘南藤沢中等部︵男女共学・中学校︶ ●慶應義塾湘南藤沢高等部︵男女共学・高等学校︶学生生活 編集
学園祭 編集
三田祭含め各キャンパスごとに開催されている。このうち、三田祭以外は有志によるイベントに過ぎないとされているが、実質的には﹁学園祭﹂として認知されており、慶應義塾大学の受験生向けパンフレットなどにも紹介されている。なお、日吉キャンパスで行われる日吉祭は高等学校の文化祭で、大学との関係はない。名前 | 開催場所 | 概要 |
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三田祭 | 三田キャンパス | 詳細は「三田祭」を参照 三田祭は、毎年11月23日前後に例年4日間行われる。運営しているのは三田祭実行委員会。三田祭の規模は大学祭では日本国内最大規模である。慶應義塾大学が公式に「学園祭」としているのは三田祭のみである。
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四谷祭 | 信濃町キャンパス | |
矢上祭 | 矢上キャンパス | |
七夕祭 | 湘南藤沢キャンパス | 詳細は「慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス#七夕祭」を参照 湘南藤沢キャンパスで七月の第一土曜日に毎年開かれる学園祭。湘南藤沢キャンパス開校時から続いており、学生有志による七夕祭実行委員会が運営している。花火や縁日のような出店、御輿などの夏祭りをテーマとした企画が中心。また学生と大学周辺地域との協力を目的としていることが特徴である。
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共薬祭 | 芝共立キャンパス |
部活動・クラブ活動・サークル活動 編集
野球 編集
陸上 編集
1917年創部の競走部は、箱根駅伝で1932年に優勝している。ラグビー 編集
ラグビー部は蹴球部が正式名称。1899年創部であり、日本ラグビーフットボール協会は﹁日本ラグビーのルーツ校﹂としている[222]。関東大学ラグビー対抗戦グループに所属している。1910年︵明治43年︶に綱町グラウンドにて日本最初の蹴球対校試合を第三高等学校︵現‥京都大学︶との間で開催した。端艇 編集
端艇部は1889年創部。1905年から隅田川の新大橋 - 桜橋間で毎年開催されているボート競技の慶早戦︵慶早レガッタ定期戦︶は、毎年3万人以上が訪れる。チアリーディング 編集
大学では應援指導部Majorettes、チアリーダーズUNICORNS、チア&ソングリーダーズUNICORNSの3団体が存在する。應援指導部 編集
スケート(ホッケー・フィギュア・スピード) 編集
1923年創部。毎年1月と5月に行われるホッケー部門の慶早戦が有名。ソッカー 編集
サッカー部はソッカー部が正式名称。アメリカンフットボール 編集
アメリカンフットボール部の愛称はユニコーンズ︵UNICORNS︶である。関東学生アメリカンフットボール連盟に所属している。バレーボール 編集
バスケットボール 編集
バスケットボール部の愛称もユニコーンズ︵UNICORNS︶。全日本学生バスケットボール選手権大会初代王者でもある。柔道 編集
レスリング剣道 編集
剣道部は1878年創部で、日本中で柔道部に次ぐ古い歴史を持つ部活動とされている。馬術 編集
1920年、陸軍士官学校において塾長鎌田栄吉出席の下、慶應義塾乗馬会の発会式を挙げる。以来同校馬術教官から教えを受ける。1923年4月1日、同校校庭で開かれた関東学生乗馬協会主催の第1回関東乗馬大会で優勝した。ラクロス 編集
ラクロス部は1986年に日本初のラクロス部として創設された[223]。それまで準体育会という位置づけだったが、2008年に体育会に加入。特に男子ラクロス部は全日本優勝5回、関東学生リーグ優勝15回という成績を残している。テニス 編集
慶應義塾大学硬式庭球同好会連盟というテニスサークル連盟がある。2018年時点で23サークルから成り立ち、公称会員数3000人強。園遊会 編集
園遊会は、学位授与式︵卒業式︶の後に開催される卒業パーティーである。2008年3月までは慶應義塾大学卒業準備委員会が主催をしていた。パーティーで行われる抽選大会の1等賞品は毎年通例として外車であった。このような豪華な賞品を出すことについて、一部卒業生や大学教職員の間からは必ずしも賛同の声ばかりが寄せられるわけではなかった。2006年時点、会費は2万円強で参加は任意である。賞品はOBが役員を務める企業からの寄付が多い。卒業準備委員会の粗雑な財務管理や園遊会参加後の卒業生の行為による苦情から、2009年3月からの園遊会の開催は一旦中止となり現卒業準備委員会も解散することとなった[224]。 なお、解散した卒業準備委員会とは別の団体が、2009年3月以降も︵非公式ではあるが︶毎年有志により園遊会を存続させるための活動を行っている[225]。日吉記念館の工事延期に伴い2009年度卒業式の会場が、予定されていた卒業式の会場︵パシフィコ横浜︶から同館となる可能性が高まり、卒業式の予定そのものが不確定となった。これによって園遊会の会場となる舞浜のホテルの予約が現段階で確定できないことが判明し、2009年度園遊会は中止となることが決定された[226]。しかし、開催の声が根強く、2009年度は有志により西麻布alifeでの小規模開催となった。そして、2010年度より特別委員会として園遊会実行委員会が全塾協議会より正式承認されたが[227]、それ以後も大学・全塾協議会の調整が着かず2011年︵震災の影響により最終的に中止︶・2012年は卒業生有志により開催されることとなった[228]。その他 編集
旧学校教練 編集
- 歴代配属将校
代 | 氏名 | 在職期間 | 在任時階級および所属 | 最終階級および後職 |
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1 | 大浜石太郎 | 1925年7月10日 - 1928年8月10日 | 陸軍大佐 | 陸軍少将、第10師団参謀長 |
2 | 服部保 | 1928年8月10日 - 1930年8月1日 | 大佐 | 陸軍少将、歩兵第4旅団長、予備役 |
3 | 伊藤義雄 | 1930年8月1日 - 1932年1月9日 | 大佐・第1師団司令部 | 陸軍中将、旅順要塞司令官、待命 |
4 | 石原常太郎 | 1932年1月9日 - 1933年8月1日 | 中佐・第1師団司令部 | 陸軍少将、鎮海湾要塞司令官、待命 |
5 | 栗田小三郎 | 1933年8月1日 - 1934年8月1日 | 大佐・第1師団司令部 | 陸軍少将 |
6 | 手塚省三 | 1934年8月1日 - 1936年3月7日 | 大佐・第1師団司令部 | 陸軍少将、戦傷 |
7 | 青木敬一 | 1936年3月7日 - 1937年11月24日 | 大佐 | 陸軍少将、歩兵第136旅団長 |
8 | 丸山定 | 1937年12月4日 - 1938年12月10日 | 大佐・留守第1師団司令部 | 陸軍少将、独立混成第12旅団長 |
9 | 寺田繁一 | (不明) | 大佐 | (不明) |
10 | 川生馨 | (不明) | 大佐 | (不明) |
11 | 永沢三郎 | 1941年8月10日 - 1943年3月1日 | 大佐・東部軍司令部 | 陸軍中将、豊橋陸軍予備士官学校長、第221師団長 |
12 | 木原義雄 | 1943年3月1日 - 1944年12月16日 | 大佐・東部軍司令部 | 陸軍少将、独立混成第67旅団長 |
- 特徴
評価 編集
Shanghai Ranking Consultancy の﹃世界大学学術ランキング 2021﹄(ARWU, The Academic Ranking of World Universities) によると、総合301-400位︵日本10位︶である。﹃QS World University Rankings 2022﹄によると、世界ランク201位[232]︵アジア45位・日本9位・私大1位︶である。The Center for World University Rankingsが発表した﹃CWUR世界大学ランキング 2021-22﹄では、世界97位︵日本4位︶である[233]。トムソン・ロイターが発表した論文の引用動向からみる日本の研究機関ランキング︵1999年 - 2009年︶では、被引用数で国内13位。ISI-トムソン・サイエンティフィックの論文引用度指数は材料科学分野で日本国内1位︵2004年 - 2008年︶。分子生物学、遺伝学、精神医学、心理学、人文社会科学の各分野がトップ10入り︵2002年 - 2006年︶する他、高被引用論文では神経科学、臨床医学、生物学・生化学の各分野がいずれもトップ7以内に位置している[234]。﹁特許資産規模﹂では国内の大学・研究機関で4位に位置している[235]。大学関係者と組織 編集
大学関係者組織 編集
名称 | 概要 |
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三田會 | 慶應義塾大学の卒業生(塾員)による同窓組織。 詳細は「三田会」を参照
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三四会 | 医学部の同窓会。1917年に創設。本部のある「三田」と医学部のある「四谷」から一字ずつ取った。若手の研究を奨励し、実学としての『慶應醫学』の発展を図るため、「三四会奨励賞」を制定し毎年発表している[239]。 |
紅梅会 | 看護医療学部の同窓会。1934年に創設。「厳寒の中でいち早く凛として咲く梅のゆかしさを象徴し、紅梅の強くやさしい花も香もある良い看護婦になるように」という願いを込めてつけられた[240]。 |
大学関係者一覧 編集
施設 編集
キャンパス 編集
三田と日吉キャンパス間の交通については、かつては東急東横線・渋谷駅経由で都バスもしくは山手線を乗り継いで1時間近く掛かったが、東急目黒線の日吉延伸後は日吉駅から直通で都営地下鉄三田線に乗り入れられ、白金高輪駅経由で30分弱での行き来が可能になった。
名称 | 所在地 | 使用学部・研究科 | 付属施設 | 備考 |
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三田キャンパス | 東京都港区 三田2-15-45 |
文学部2-4年 |
三田メディアセンター |
最寄り駅:田町駅(東日本旅客鉄道〈JR東日本〉山手線・京浜東北線)、三田駅(東京都交通局〈都営地下鉄〉浅草線・三田線)、赤羽橋駅(都営地下鉄大江戸線) |
日吉キャンパス | 神奈川県横浜市 港北区日吉4-1-1 |
文学部 |
日吉メディアセンター |
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矢上キャンパス | 神奈川県横浜市 港北区日吉3-14-1 |
理工学部3ー4年 |
理工学メディアセンター |
最寄り駅:日吉駅(東急東横線・目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン) |
信濃町キャンパス | 東京都新宿区 信濃町35 |
医学部2-6年 |
慶應義塾大学病院 |
最寄り駅:信濃町駅(JR中央・総武緩行線)、国立競技場駅(都営大江戸線)、青山一丁目駅(東京メトロ銀座線・半蔵門線、都営大江戸線) |
湘南藤沢キャンパス (SFC) | 神奈川県藤沢市 遠藤5322 |
総合政策学部 |
慶應義塾大学湘南藤沢学会 |
最寄り駅:湘南台駅(小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーライン)、辻堂駅(JR東海道本線・湘南新宿ライン)からバス 詳細は「慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス」を参照
|
芝共立キャンパス | 東京都港区 芝公園1-5-30 |
薬学部薬学科2-6年 |
薬学部附属薬局 |
最寄り駅:浜松町駅(JR山手線・京浜東北線および東京モノレール羽田空港線)、御成門駅(都営地下鉄三田線)、 御成門駅、大門駅(都営地下鉄浅草線・大江戸線) |
浦和共立キャンパス | 埼玉県さいたま市緑区 |
附属薬用植物園 |
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K2タウンキャンパス | 神奈川県川崎市幸区 |
新川崎タウンキャンパス、神奈川県川崎市と共同設置 | ||
殿町タウンキャンパス[241] | 川崎市殿町地区 |
ウェルビーイングリサーチセンター |
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鶴岡タウンキャンパス (略称はTTCK[242]) |
山形県鶴岡市 |
致道ライブラリー |
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慶應大阪シティキャンパス (略称はKOCC) |
大阪府大阪市北区 |
2008年5月、大阪大学医学部附属病院跡地に整備されていた再開発地域(ほたるまち)にある「堂島リバーフォーラム」に「慶應大阪リバーサイドキャンパス」が開設された[243]。明治8年まであった「大阪慶應義塾」以来となる大阪での拠点である。慶應義塾を創立した福澤の学んだ適塾(後の大阪大学)が大阪に所在していたことから、ゆかりの地でのキャンパス開設といえよう。2013年5月、大阪駅北口のグランフロント大阪ナレッジキャピタル内に移転し、慶應大阪シティキャンパス(KOCC)と改称している。 | ||
慶應丸の内シティキャンパス (略称はMCC) |
東京都千代田区 丸の内三菱ビル |
社会人向け教育機関として開設。株式会社慶應学術事業会が運営。 |
学生食堂 編集
寮 編集
慶應義塾大学には、日吉寄宿舎、日吉国際学生寮、下田学生寮、大森学生寮、元住吉宿舎、元住吉国際学生寮、綱島学生寮、綱島SST国際学生寮、高輪国際学生寮、湘南藤沢国際学生寮、Hヴィレッジの計11の寮がある[249]。日吉寮 編集
●慶應義塾大学が設置する唯一の大学学部生向けの男子寮。正式名称は慶應義塾大学日吉寄宿舎。2011年10月26日に横浜市認定歴史的建造物に認定された[250]。宗教施設 編集
●仏教青年会館︵日吉キャンパス︶‥仏教 ●YMCAチャペル︵日吉キャンパス︶‥キリスト教 ●慶應稲荷大明神︵信濃町キャンパス︶‥神道文化財 編集
慶應義塾大学は以下の国宝と重要文化財を所有している[251]。国宝 編集
重要文化財 編集
対外関係 編集
ダブルディグリープログラム 編集
慶應義塾大学と海外の協定校の両方で学び、修了時に二つの学位が取得できるプログラム[254]。 ●経済学部 - パリ政治学院、ボッコーニ大学 ●商学部 - ESSEC、北京大学 ●経済学研究科 - CEMS ●社会学研究科 - 南オーストラリア大学 ●理工学研究科・理工学部 - エコール・サントラル、ルーヴァン・カトリック大学、ブリュッセル自由大学[要曖昧さ回避]、IESEG、IMT、パリ国立高等鉱業学校、ライプニッツ大学ハノーファー、アーヘン工科大学、ミュンヘン工科大学、ミラノ工科大学、マドリード工科大学、スウェーデン王立工科大学、ルンド大学、JEMARO ●経営管理研究科 - HECパリ、ESSEC、オットー・バイスハイム経営大学院 ●政策・メディア研究科 - 復旦大学、延世大学校 ●メディアデザイン研究科 - CEMS ●法務研究科 - ワシントン大学[要曖昧さ回避]、ハノイ法科大学、ベトナム国家大学ホーチミン校、タマサート大学法学部外国オフィス 編集
慶應義塾大学の海外オフィスは、交流協定校を含む各地域にあるトップレベルの諸大学・機関との様々な教育・研究交流を積極的に促進していくことを目的としている[255]。具体的には義塾研究者による学術セミナーや講演会の開催、留学中の塾生の学習・生活支援に取り組んでいる。また、新規協定校の開拓や義塾への留学招待など、広報活動を展開している。研究連携拠点 編集
●慶應-NUS CUTEセンター[256]。設立場所‥シンガポール国立大学内および慶應義塾大学日吉キャンパス協生館内。 ●ITER国際核融合エネルギー機構 ●欧州原子核研究機構︵CERN︶ ●日仏情報学連携研究拠点︵JFLI︶[257] ●国立情報学研究所︵NII︶、慶應義塾大学、東京大学、CNRSフランス国立科学研究センター、︵新︶ソルボンヌ大学︵旧‥ピエール&マリー・キュリー大学︵UPMC︶ ●情報学分野における日仏間の研究交流・成果発信2機関連携 編集
機関 | 連携内容 |
---|---|
大阪大学大学院医学系研究科・医学部 | 適塾を源流とするとの認識に基づき、研究・臨床を行う[258]。 |
東京工業大学 | 学生交流に関する協定を締結。文理の枠組み、国立私立の壁を越える人材育成を推進。 |
一橋大学 | 教育・研究上の連携・協力により研究や実務の世界で活躍するグローバルリーダーの育成を推進。(文部科学省戦略的大学連携支援事業)[259] |
理化学研究所 | 人間知性の解明研究など[27] |
宇宙航空研究開発機構(JAXA) | システムエンジニアリング分野 |
ニューサウスウェールズ大学 | |
シドニー大学 | |
インド工科大学ハイデラバード校 | |
延世大学校情報科学・統治研究センター | |
フランス国立科学研究センター | |
フランス原子力・代替エネルギー庁 | |
フランス国立保健医学研究機構 | |
アーヘン工科大学 | |
ジュネーヴ大学 | |
ウィーン大学歴史文化研究学部 | |
ウィーン大学心理学部 | |
アメリカ国立老化研究所(NIA) | |
マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学ブロード研究所 | |
ジョージア工科大学(GIT) | |
カリフォルニア大学バークレー校機械工学科精密製造センター | |
セントルイス・ワシントン大学医学部 | |
日本電信電話株式会社 (NTT) | 情報通信分野(特にブロードバンド通信、ユビキタス、IPネットワークなど)の分野 |
日立製作所 | 国際的かつ分野融合的な技術の発信を目指した連携協力 |
国連開発計画 (UNDP)[260] | 国際平和と世界の開発課題解決のために貢献できるリーダーの育成 |
山梨県および富士吉田市 | 富士山北麓の森林文化を基軸にした、イノベーションによる新たな価値の創造と地域づくりおよび国際社会に貢献する人材づくり |
中津市(大分県) | 福澤諭吉の学問に対する考え方を基にした次世代を担う人材の育成と、それを育む地域づくり |
京都市教育委員会 | 京都市における教育の充実・発展 |
港区 (東京都) | 地域社会および教育・研究の発展。芝地区“昭和の地域力再発見事業拠点”「芝の家」が2008年10月オープンした。 |
長崎県 | 活力ある地域の形成と実学の促進 |
川崎市 | 地域社会、研究、産業の振興 |
静岡県 | 先端農業プロジェクト事業の推進 |
小田急電鉄・神奈川中央交通[261] | バスの自動運転技術など |
沖縄県・グラクソ・スミスクライン株式会社 | 沖縄県の健康・医療情報産業の振興等 |
多機関連携 編集
連携の名称 | 連携機関 | 備考 |
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「4大学ナノ・マイクロファブリケーションコンソーシアム」 | ||
(名称なし) |
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大学院生を対象に、多様な教育・研究指導を受ける機会を提供し、学術の発展と有為な人材を育成。 |
日米研究インスティテュート[262] |
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EUインスティテュート・イン・ジャパン (EUSI) | ||
医療系産学連携ネットワーク協議会 (medU-net) | ||
全国私立大学FD連携フォーラム | ||
文部科学省がんプロフェッショナル養成プラン9大学共同事業体 | ||
東アジア研究プログラム (Three-Campus Comparative East Asian Studies Program) |
系列校 編集
一貫教育校 編集
慶應義塾では自らの設置する以下の学校へ入学した場合、大学まで全員が進学することを前提に統一したカリキュラムを組んで教育を行っている。そこで、慶應義塾では以下の学校についてはまとめて﹁一貫教育校﹂と呼んでいる。以下の学校を卒業すると全員、無試験で大学へ推薦入学できる︵エスカレーター式︶。これらの学校から推薦入学する生徒は、大学全体の2割以上を占める。 高等学校 ●慶應義塾高等学校︵男子校︶ ●慶應義塾志木高等学校︵男子校︶ ●慶應義塾女子高等学校︵女子校︶ ●慶應義塾ニューヨーク学院︵男女共学校︶ 中高一貫校 ●慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部︵男女共学校︶ 中学校 ●慶應義塾普通部︵男子校︶ ●慶應義塾中等部︵男女共学校︶ 小学校 ●慶應義塾幼稚舎︵男女共学校︶ ●慶應義塾横浜初等部︵男女共学校︶社会との関わり 編集
床屋舌禍事件 編集
戦後の慶應仲通り界隈にある床屋で、顔をあたっていた一人の学生が、壁に掲げてあった福澤翁の写真を見上げながら﹁福澤の野郎は俳優の小沢栄太郎に似ていやがる﹂[信頼性要検証]といった。そこに運悪く隣りで同じように顔をあたっていた寺尾琢磨教授がたしなめた。学生も反抗的な態度に出た末に当該学生の退学問題にまで発展し、さらに、学校内外を巻き込んだ﹁福澤精神﹂の存亡論争にまで及んだ[263][信頼性要検証]。幻の李登輝の講演 編集
同大学文化団体連盟に所属する経済新人会というサークルが、2002年11月、台湾から前中華民国総統の李登輝を迎える講演会を企画した[264]。中国共産党の介入で、日本政府が来日に必要なビザ発給を拒否する構えを示したため、李登輝は訪日を断念して実現しなかった。ラジオ番組 編集
日経ラジオ社にて1958年より﹃慶應義塾の時間﹄︵月曜-木曜 22:00-22:30︶を放送していた。2008年に放送60年を迎えた[265]が、2013年度をもって廃止され、ネットによる受講者向けのオンデマンド配信に移行した。その後、2014年4月から9月にかけては木曜日に﹁キャンパス info. DOCTORS﹂と題し、慶應義塾大学卒業の医師によるトークや講義を放送していた。企業からの評価 編集
人事担当者からの評価 編集
●2021年に日本経済新聞社と日経HRが実施した﹁企業の人事担当者からみたイメージ調査﹂[266]︵全上場企業と一部有力未上場企業4,850社の人事担当者を対象に、2019年4月から2021年3月までの間に採用した学生から見た大学のイメージなどを聞いた調査︶において、慶應義塾大学は、﹁全国総合﹂で788大学[267]中、第18位[266]にランキングされた。 ●2022年日本経済新聞社と日経HRが実施した、﹁人事が見る大学イメージ調査﹂[268]︵2022年2月時点の全ての上場企業と一部有力未上場企業の人事担当者を対象に、採用した学生から見た大学のイメージなどを聞いた調査︶において、慶應義塾大学は、﹁関東・甲信越﹂で第6位[266]にランキングされた[269]。出世力 編集
●ダイヤモンド社の2006年年9月23日発行のビジネス誌﹃週刊ダイヤモンド﹄94巻36号︵通巻4147号︶﹁出世できる大学﹂と題された特集の出世力ランキング︵日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[270][271]︶で、慶應義塾大学は、2006年時点で存在する全国の744大学中、第3位にランキングされた[272]。脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
参考文献 編集
- 慶應義塾『慶應義塾五十年史』1907年(明治40年)
- 慶應義塾『慶應義塾七十五年史』1932年(昭和7年)
- 慶應義塾『図説・慶応義塾百年小史:1858-1958』1958年(昭和33年)
- 慶應義塾『慶應義塾百年史』全6巻、1958-1969年(昭和33-44年)
- 『慶応義塾125年』編集委員会 『慶應義塾125年』 慶應義塾、1983年(昭和58年)
- 慶應義塾福澤研究センター 『創立百二十五年 慶應義塾年表』 慶応義塾、1985年(昭和60年)
- 三田商学研究会編『慶應義塾出身名流列伝』近代デジタルライブラリー 1909年(明治42年)
- 慶應義塾福澤研究センター 『慶應義塾史事典』慶應義塾大学出版会、2008年 ISBN 9784766415728
- 加藤三明、山内慶太、大澤輝嘉 編著『慶應義塾 歴史散歩 キャンパス編』慶應義塾大学出版会、2017年 ISBN 978-4-7664-2469-0
- 加藤三明、山内慶太、大澤輝嘉 編著『慶應義塾 歴史散歩 全国編』慶應義塾大学出版会、2017年 ISBN 978-4-7664-2470-6
- 多田建次『日本近代学校成立史の研究 - 廃藩置県前後における福沢諭吉をめぐる地方の教育動向』玉川大学出版部、1988年1月1日 ISBN 9784472078514