立川 和四郎(たてかわ わしろう)は、江戸時代中期から信濃国(現在の長野県諏訪郡を本拠地に活動した宮大工名跡江戸幕府作事方立川流の地方分流。

諏訪大社下社秋宮の幣拝殿の彫刻

初代富棟が、工房で彫刻を大量に作成して軸部完成後に運搬して取り付ける分業形態、施主の要望により彫刻をオプションとして付加する随意付加形式、事前にカタログを提示して請負契約をまとめる発注形式など、合理的に組織化された建築活動の基礎を構築し、短期間で多量の建築工事を可能とした。

立川和四郎歴代

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初代和四郎富棟

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諏訪大社下社秋宮の幣拝殿
 
善光寺大勧進表門

二代目和四郎富昌

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殿殿[2]
 
旧開智学校 三代目和四郎富種の弟子、原田蒼渓の彫刻

彫刻を手掛けた主な寺社

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脚注

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  1. ^ 茅野駅から長野県道192号茅野市役所通りを市役所方面へ徒歩3分
  2. ^ 宮下一男著『ふたりの豊八 安曇野の宮大工 大隅流と立川流その作品と系譜』ほおずき書籍、2008年

参考文献 

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  • 細川隼人『立川流の建築』1975年
  • 大河直躬「素木で勝負―諏訪の名工立川流と大隅流」『大工彫刻』所収1997年 イナックスブックレット 

外部リンク

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関連項目

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