186588617[1] - 19441983[2]10
荒川五郎

経歴

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エピソード

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普通選挙獲得運動たけなわの1922年(大正11年)2月、荒川は中国服(原文は「支那服」)を着て登院、所属政党(憲政会)の控室に入り、中国人に成りすまし、『日本は(世界)三大強国の一ツであります。支那に後れて世界に擡頭した日本が支那を置去りにして発展したことを羨ましくて耐(たま)りません』と述べ、続けて『併(しか)しその日本が国民を土台とする政治の本旨を忘れて普通選挙を拒みます。世界の思潮を知らぬのも甚だしいとあります。日本政府は眞に不可(ペケ)あります』と言った。ここで中国服の男が荒川であることが分かり、『議場は洋服で差支ないと云ふので西洋服と限つて居ないから東洋服の此姿でも可い筈』と主張して議場に入ろうとしたが、所属政党の幹事に止められた。新聞では中国服の荒川の写真が掲載された[5][6]

脚注

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  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ a b 『広島県大百科事典』上巻、42頁。
  4. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』583頁。
  5. ^ 『東京朝日新聞』1922年2月26日朝刊2面、「議會に現れた普選運動の怪支那人 實は荒川代議士 辮髪を弄ぶ茶番氣分」
  6. ^ 『エピソードで綴る国会の100年』57-58頁。

参考文献

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  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、27頁)
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 前田秀昭著『エピソードで綴る国会の100年』原書房、1990年。

外部リンク

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