藤ノ木古墳

奈良県斑鳩町にある古墳

[1]64
藤ノ木古墳

墳丘・石室入り口
所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目
位置 北緯34度36分42.5秒 東経135度43分46.0秒 / 北緯34.611806度 東経135.729444度 / 34.611806; 135.729444座標: 北緯34度36分42.5秒 東経135度43分46.0秒 / 北緯34.611806度 東経135.729444度 / 34.611806; 135.729444
形状 円墳
規模 直径約48m 高さ9m
出土品 金銅製冠・履・馬具、飾大刀・剣など
築造時期 6世紀後半
被葬者 (一説)穴穂部皇子宅部皇子の合葬
史跡 1991年(平成3年)11月16日国指定
有形文化財 出土品(国宝
地図
藤ノ木古墳の位置(奈良県内)
藤ノ木古墳

藤ノ木古墳

奈良県内の位置
地図
テンプレートを表示

概要

編集

古墳は法隆寺西院伽藍の西方約350メートルに位置する。現在は周辺が公園として整備され、説明板なども多数設置されており、法隆寺周辺の観光スポットとなっている。また、古墳から南へ200メートルほど行くと、史跡案内施設(斑鳩文化財センター)があり、主な出土品の複製品が展示されている。奈良県立橿原考古学研究所では出土した馬具3Dプリンターで復元し一部は一般でも触れるようにしている[2]

発掘調査結果から、径約50メートル、高さ約9メートルの円墳であるとされている。ただし、現状は周りの水田や建物により少しずつ削り取られていて、高さ約7.6メートル、最大径約40メートルである。大和での埴輪の設置は6世紀前半で終わったと考えられていたが、墳丘裾には円筒埴輪が並べられていて、従来の見解を訂正することになった。

石室・石棺

編集

214西6.05.72.42.74.24.48.31.82.1[3]

235×130×97230×13052-55西[3]

被葬者

編集

109[4]

25876

32

198890調199323調112

 20099[4]20152019

発掘調査

編集

1985年(昭和60年)から2006年にかけて6次にわたり斑鳩町教育委員会や奈良県立橿原考古学研究所により発掘調査が行われた。

第1次調査(1985年7月22日-12月31日)

編集

19851調13.95123

使

[5]

第2次調査(1988年5月9日-7月8日)

編集

調[6]

第3次調査(1988年9月30日-12月28日)

編集

1988調22514124[7]

[8]

保存の歴史と問題

編集

1854西[9][10]

1995112831[11][12][13]

2014[14]

文化財指定

編集

198819912004[15]橿



1

 2

 

3463739



4121

 

 

  


脚注

編集
  1. ^ (前園、2006)、pp.4, 74 - 75
  2. ^ 藤ノ木古墳:国宝の馬具透かし彫り 3Dプリンターで複製
  3. ^ a b (前園、2006)、pp.19 - 21
  4. ^ a b 2009年9月14日朝日新聞「藤ノ木古墳被葬者 考古学者が新説<男2人>ではなく<男と女>?」
  5. ^ (前園、2006)、pp.9 - 10
  6. ^ (前園、2006)、pp.24 - 28
  7. ^ (前園、2006)、pp.29 - 41, 64, 69
  8. ^ (前園、2006)、pp.71 - 73
  9. ^ 2014年「斑鳩町歴史的風致維持向上計画」p.90、2022年5月26日閲覧
  10. ^ エンタメ!歴史博士-NIKKEI STYLE・日本経済新聞社と日経BP共同運営2020年9月18日閲覧
  11. ^ 破片と骨壺は、事件直後の各新聞報道
  12. ^ 斑鳩町HP「史跡藤ノ木古墳」2020年9月18日閲覧
  13. ^ 藤田友治『前方後円墳 - その起源を解明する』、ミネルヴァ書房、2000年 pp.355-356、379
  14. ^ 2014年「斑鳩町歴史的風致維持向上計画」pp.141-142、147、2022年5月26日閲覧
  15. ^ 昭和63年6月6日文部省告示第77号、平成3年6月21日文部省告示第83号、および平成16年6月8日文部科学省告示第109号

参考文献

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集