道俣神
道俣神︵ちまたのかみ︶とは、日本神話・﹃記紀﹄において、伊弉諾尊︵いざなぎのみこと︶が身に着けていた袴から成る、道に関する神[1]。﹃古事記﹄表記が道俣神で、﹃日本書紀﹄では開囓神︵あきぐいのかみ︶と表記している。古事記には冠から生まれた飽咋之宇斯能神︵あきぐいのうしのかみ︶というのもいる。もしかしたらそちらと同神の可能性もある。
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概要
編集記紀
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﹃古事記﹄と﹃日本書紀﹄︵本文︶の相違で、﹃古事記﹄では伊弉冉尊︵いざなみのみこと︶は火の神︵火之迦具土神︵ひのかぐつちのかみ︶︶を生み火傷を負い亡くなるが、﹃日本書紀﹄︵本文︶では別の筋書きになっており伊弉冉尊は死ぬことなく生きていく。このため、伊弉諾尊が死後の伊弉冉尊に会いに黄泉国を訪問する神話は、﹃日本書紀﹄においては本文から逸れ﹁一書[注1]﹂についての記述となる。
●﹃古事記﹄は黄泉国から脱出した後、禊をする直前に伊弉諾尊の身に着けていた諸々から成る。
●﹃日本書紀︵一書︶﹄は黄泉国から逃げる途中、伊弉冉尊と対峙し決別の誓いをたてた後、伊弉諾尊の身に着けていた諸々から成る。
神話は道俣神と開囓神の箇所のみ。詳細は﹁神生み﹂を参照。
古事記
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黄泉国から逃げ伸びた伊弉諾尊は﹁嫌に醜い穢れた国を訪ねてしまった。私は穢をしよう。﹂と言い、竺紫︵筑紫︶の日向の橘の小門︵おど︶の阿波岐原︵あわきはら︶という所におもむき禊祓を行う[1]。
そこで、投げ棄てた御杖︵みつえ︶から成す神の名は﹁衝立船戸神﹂、次に投げ棄てた御帯︵みおび︶から成る神の名は﹁道乃長乳歯神﹂、次に投げ棄てた御袋︵みふくろ︶から成る神の名は﹁時量師神﹂、次に投げ棄てた御衣︵みけし︶から成る神の名は﹁和豆良比能宇斯能神﹂、次に投げ棄てた御褌︵みはかま、袴︶から成る神の名は﹁道俣神﹂、次に投げ棄てた御冠︵みかがふり︶から成る神の名は﹁飽咋之宇斯能神﹂、次に投げ棄てた左手の手纏︵たまき、腕輪︶から成る神の名は﹁奥疎神﹂次に﹁奥津那芸佐毘古神﹂次に﹁奥津甲斐弁羅神﹂、次に投げ棄てた右手の手纏から成る神の名は﹁辺疎神﹂次に﹁辺津那芸佐毘古神﹂次に﹁辺津甲斐弁羅神﹂である[4]。
日本書紀
編集一書原文︵前略︶ - 伊弉諾尊已、至泉津平坂。故以、千人所引磐石、塞其坂路。興伊弉冉尊、相向而立、遂建絶妻之誓。時伊弉冉尊云。愛也吾夫君言如此者、吾當縊殺汝所治国民、日將千頭。伊弉諾尊乃報之曰。愛也吾妹言如此者、吾則當産、日將千五百頭。因曰、自此莫過。 即投其杖、是謂岐神也。又投其帶、是謂長道磐神。又投其衣、是謂煩神。又投其褌、是謂開囓神。又投其履、是謂道敷神。 - ︵後略︶ — ﹁国史大系‥第5巻﹂、日本紀略[5] 伊弉諾尊は泉津平坂︵よもつひらさか︶[注2][6]に至った。その坂路をすなわち千人引︵ちびき︶の磐石をもって塞ぎ、伊弉冉尊と相向き立ち、遂に絶妻の誓いを渡す。時に伊弉冉尊は言う﹁愛︵うるわ︶しき吾が夫君、如此言︵かくのたま︶はば、吾は汝が治める国民、日に千人縊︵くび︶り殺そう﹂。伊弉諾尊は報え言う﹁愛しき吾が妻、如此言はば、吾はすなわち日に千五百人産もう﹂。因りて曰く、﹁これよりな過ぎそ﹂。 即ちその杖を投げる、これを岐神と言う。またその帯を投げる、これを長道磐神と言う。またその衣を投げる、これを煩神と言う。またその袴を投げる、これを開囓神と言う。またその履を投げる、これを道敷神と言う。表記一覧
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- 『古事記』は8種の物を投げ棄て12神。
- 『日本書紀』は5種の物を投げ棄て5神。
それぞれの物と対応の神名は以下を参照。
投げた物 古事記の記述 日本書紀の記述 杖 衝立船戸神(つきたつふなど(と)のかみ) 岐神(ふなど(と)のかみ) 帯 道乃長乳歯神(みちのながちはのかみ) 長道磐神(ながちはのかみ) 袋 時量師神(ときはかしのかみ) - 衣 和豆良比能宇斯能神(わずらいのうしのかみ) 煩神(わづらいのかみ) 袴 道俣神(ちまたのかみ) 開囓神(あきぐいのかみ) 冠 飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ) - 左手の手纏 奥疎神(おきさかるのかみ) - 奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ) - 奥津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ) - 右手の手纏 辺疎神(へさかるのかみ) - 辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ) - 辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ) - 履 - 道敷神(ちしきのかみ) 合計 12神 5神 建築・工事や家屋の祭
編集 神道では何所にもそれぞれの神々が居ると考えるため、土木・建築や増改築にあたって神々に報告を行い、工事中の加護・無事完成を祈願する﹁地鎮祭﹂や﹁上棟祭﹂、もしくは完成後に建物が末永く平安堅固であるようにと除災や繁栄を祈る﹁竣工祭﹂など、一時的な祭祀を取り行う慣わしがある[7]。 地鎮祭の場合、祭場は着工前現場に臨時に設ける。四隅に斎竹︵いみだけ︶と呼ぶ葉付きの青竹を設置し、清浄な場所を示す注連縄を張りめぐらせ、紙垂︵しで︶を飾る[8]。中に神の依り代となる神籬︵ひもろぎ︶[注3][9]、神の食事である神饌︵みけ︶・神酒を供え、神職を招き祝詞奏上を行い祭祀を始める[8]。文化関連
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- 橋の神[10]
- 大地主神(おおとこのぬしのかみ)
- 罔象女神(みづはのめのかみ)
- 道俣神(ちまたのかみ)
- 八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)
- 橋姫神(はしひめのかみ)
- 手置帆負神(たおきほをいのかみ)と彦狭知神(ひこさしりのかみ)
交通関連
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- 交通安全の神[11]
- 八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)
- 火産霊神(ほむすびのかみ)
- 雷神(いかづちのかみ)
- 道乃長乳歯神(みちのながちはのかみ)
- 道俣神(ちまたのかみ)
- 大己貴神(おおなむちのかみ)
- 猿田彦神(さるたひこのかみ)
- 稲荷大神(いなりのおおかみ)
- 産土大神(うぶすなのおおかみ)
- 運送業(陸運)の神[12]
- 道乃長乳歯神(みちのながちはのかみ)
- 道俣神(ちまたのかみ)
- 産土大神(うぶすなのおおかみ)
- 車(電車・自動車・自転車など)の神[12]
- 大己貴神(おおなむちのかみ)
- 屋船神(やふねのかみ):屋船豊受姫神(やふね-とようけひめのかみ)と屋船久々能遅神(やふね-くくのちのかみ)
- 火産霊神(ほむすびのかみ)
- 八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)
- 大雷神(おおいかづちのかみ)と鳴雷神(なるいかづちのかみ)
- 道乃長乳歯神(みちのながちはのかみ)
- 道俣神(ちまたのかみ)
- 稲荷大神(いなりのおおかみ)
- 天武天皇(てんむてんのう)
工事関連
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- 鉄橋架橋工事の神[13]
- 大地主神(おおとこのぬしのかみ)
- 罔象女神(みづはのめのかみ)
- 道俣神(ちまたのかみ)
- 八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)
- 橋姫神(はしひめのかみ)
- 手置帆負神(たおきほをいのかみ)と彦狭知神(ひこさしりのかみ)
- 道乃長乳歯神(みちのながちはのかみ)
- 大事忍男神(おおことおしをのかみ)
- 大綿津見神(おおわたつみのかみ)
- 天乃目一筒神(あめのまひとつのかみ)
- 金山姫神(かなやまひめのかみ)と金山彦神(かねやまひこのかみ)
- 産土大神(うぶすなのおおかみ)
- 鉄道工事の神[13]
- 道乃長乳歯神(みちのながちはのかみ)と道俣神(ちまたのかみ)
- 産土大神(うぶすなのおおかみ)
脚注
編集注釈
編集(一)^ ﹃日本書紀﹄は本文とともに複数の異伝を記載、異伝については﹁一書曰﹂と書き出しに記し、本文と区別している。﹃日本書紀﹄の編集が神秘的な物語性以上に、あくまで歴史・史実書物としての価値を重んじた主旨により製作したと考えられている。しかし、﹁一書﹂と記された異伝の中には歴史資料としても貴重な伝承も見られる。︵武光 誠﹃地図で読む﹁古事記﹂﹁日本書紀﹂﹄PHP研究所︿PHP文庫﹀、2011年。︶ (二)^ 現世と黄泉国との境にあるという坂。 (三)^ 神事で、神霊︵神のみたまのこと︶を招き降ろす神座の一種。清浄な地を選び、榊などの常緑樹を立てる。臨時の祭祀にも用い、麻苧︵あさお︶・御幣︵ごへい︶などを飾る。出典
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- ^ a b 梅原「みぞぎの神々」第一章
- ^ 大辞林 第三版(ちまた[巷・岐・衢]) 三省堂 2015年6月20日閲覧
- ^ 日本人名大辞典+Plus「八衢比売神(やちまたひめのかみ)」 デジタル版 2015年6月20日閲覧
- ^ 島崎「天照大御神の誕生」第一章
- ^ 日本紀略「神代上」9頁
- ^ 大辞林 第三版(よもつひらさか[黄泉平坂]) 三省堂 2015年6月24日閲覧
- ^ 福井県神社庁『Q&A:家屋の祭りとはどういった意味があり、どういうことをするのですか?」 2015年6月25日閲覧
- ^ a b 東京都神社庁「地鎮祭・上棟祭について」 2015年6月25日閲覧
- ^ デジタル大辞泉「ひもろぎ[神籬衢」 小学館 2015年6月25日閲覧
- ^ 西牟田「神名・数詞一覧」436頁
- ^ 西牟田「神名・数詞一覧」414頁
- ^ a b 西牟田「神名・数詞一覧」417頁
- ^ a b 西牟田「神名・数詞一覧」424頁
参考文献
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- 梅原 猛『古事記・増補新版』学研出版 2012年
- 島崎 晋『読み出したら止まらない古事記・イラスト版』PHP研究所 2011年
- 日本紀略『国史大系』(第5巻)
- 西牟田 崇生『平成新編祝詞事典 縮刷版』戎光祥 2003年