金閣寺放火事件

1950年に日本の京都府京都市で発生した放火事件

金閣寺放火事件(きんかくじほうかじけん)は、1950年昭和25年)7月2日未明に、京都府京都市上京区(現・北区)金閣寺町にある鹿苑寺(通称・金閣寺)において発生した放火事件である。アプレゲール犯罪の一つとされた。

金閣寺放火事件
焼失直後の金閣舎利殿
場所 日本の旗 日本京都府京都市上京区(現・北区
座標 北緯35度2分21.85秒 東経135度43分45.71秒 / 北緯35.0394028度 東経135.7293639度 / 35.0394028; 135.7293639 (金閣寺放火事件)座標: 北緯35度2分21.85秒 東経135度43分45.71秒 / 北緯35.0394028度 東経135.7293639度 / 35.0394028; 135.7293639 (金閣寺放火事件)
日付 1950年昭和25年)7月2日
午前3時(逮捕は午後5時) (UTC+9)
標的 鹿苑寺の舎利殿(金閣)
攻撃手段 放火
死亡者 0人
負傷者 0人
行方不明者 0人
損害 舎利殿が全焼。足利義満の木像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財6点の焼失。
犯人 林承賢(本名・林養賢)
動機 #動機参照
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事件の経緯

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焼失する前の金閣(1893年
 
焼失する前の金閣(1905年
 
木造足利義満坐像

1950723鹿殿7630使殿4636

調1929319


動機

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調



調調[1][2]

その後

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195012287調1956313726


再建

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再建後の金閣舎利殿

現在の金閣は国や京都府の支援および地元経済界などからの浄財により、事件から5年後の1955年に再建されたものである。金閣は明治時代に大修理が施されており、その際に詳細な図面が作成されていたことからきわめて忠実な再現が可能であった。

事件当時の寺関係者の回顧談等によると、焼失直前の旧金閣はほとんど金箔の剥げ落ちた簡素な風情で、現在のように金色に光る豪華なものではなかった。また修復の際に創建当時の古材を詳細に調査したところ金箔の痕跡が検出され、本来は外壁の全体が金で覆われていたとの有力な推論が得られたことから、再建にあたっては焼失直前の姿ではなく創建時の姿を再現するとの方針が採られた。

事件をテーマにした作品

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195010姿

19561962

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1976

[3] 稿1979

2010

2020 

脚注

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(一)^  20206201-228ISBN 978-4309254135 

(二)^ 19862271-347ISBN 978-4101141190 

(三)^ 

関連資料

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  • 文化庁編『新版 戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』、戎光祥出版、2003年

関連項目

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外部リンク

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