鹿野城(しかのじょう)は、鳥取県鳥取市鹿野町鹿野因幡国気多郡)にあった日本の城平山城跡)。鳥取市指定史跡[1]

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鹿野城
鳥取県
天守台
天守台
別名 王舎城、志加奴城、鹿奴城
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 志加奴氏(鹿野氏)
築城年 不明
主な改修者 亀井茲矩
主な城主 志加奴氏、山名氏、亀井氏、池田氏
廃城年 1871年
遺構 天守台、石垣、堀、曲輪、土塁
指定文化財 市指定史跡
位置 北緯35度27分31.25秒 東経134度3分49.94秒 / 北緯35.4586806度 東経134.0638722度 / 35.4586806; 134.0638722座標: 北緯35度27分31.25秒 東経134度3分49.94秒 / 北緯35.4586806度 東経134.0638722度 / 35.4586806; 134.0638722
地図
鹿野城の位置(鳥取県内)
鹿野城

鹿野城

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濠と石垣

歴史

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戦国時代まで

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鹿

154413鹿300

15636鹿退

亀井氏の入城

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15808138,000鹿鹿

貿鹿鹿使[2]

16173

鳥取藩池田氏の治政

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1617316285鹿貿16401716622鹿16329鹿16442

18683鹿鹿鹿鹿鹿鹿18692鹿

構造

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148m西

2



調



姿  [3]

備考

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鹿野城は毛利氏の因幡経営の本拠地として戦国時代から存在しており、亀井茲矩の入部後に近世城郭としての改築が図られたと見られる。近世城郭としての鹿野城は上記の規模・構造だが、この規模では毛利氏因幡経営の本拠地としては余りにも小さい。杉原土囲という天正八年の付城跡が幸盛寺に残っており、現在の鹿野城跡がその一部であったことが想像される。さらに、現在の鹿野城跡南側の裏山に広がる遺構が毛利氏の因幡経営の本拠地としての中世山城鹿野城であると考えられている。

交通アクセス

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周辺

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脚注

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  1. ^ 「指定文化財一覧」鳥取市公式HP
  2. ^ 太皷谷稲成神社宝物殿所蔵『鹿野城出土瓦』
  3. ^ 太皷谷稲成神社宝物殿所蔵『因州記』

関連項目

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