龍口
神奈川県藤沢市の地名
地名の由来
編集歴史
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龍口は鎌倉時代後期ごろより刑場として史書に登場する。特に文永8年︵1271年︶9月12日に日蓮が処刑寸前に助命される事件︵龍ノ口法難、処刑直前に江ノ島方より光の玉がでてくるという奇跡が起き助かったという伝承が残っている︶は有名。ほかにも元の使者杜世忠や、中先代の乱を起こした北条時行もこの地で処刑された記録が残る。
なお、鎌倉時代初期から中期には龍口周辺の片瀬や腰越で処刑や首実検が行われた記録が残っているが、龍口の刑場がこれら周辺での処刑とは別に設けられた物なのか、史書の表記揺れでいずれも龍口を指すものなのかはよくわかっていない。
江戸時代に入るとこの地は江ノ島・鎌倉への玄関口として数多くの巡礼者や観光客でにぎわうようになった。そして龍口寺の周辺は門前町として様々な店が立ち並び、盛況を誇ったと伝わる。
なお龍口の地については江戸時代初期からたびたび周辺の津村・腰越村・片瀬村の間で境界論争が行われたが、安永2年︵1773年︶に片瀬村へ所属する事が定まった。