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'''アントニオ・バッジーニ'''(Antonio Bazzini、[[1818年]][[3月11日]] - [[1897年]][[2月10日]])は[[イタリア]]の[[ヴァイオリニスト]]、作曲家にして[[ヴァイオリン]]教師。少年時代に[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]]の超絶技巧に接して影響を受けた。 |
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2018年5月11日 (金) 22:08時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Antonio_Bazzini.jpg/220px-Antonio_Bazzini.jpg)
アントニオ・バッジーニ︵Antonio Bazzini、1818年3月11日 - 1897年2月10日︶はイタリアのヴァイオリニスト、作曲家にしてヴァイオリン教師。少年時代にパガニーニの超絶技巧に接して影響を受けた。
晩年はミラノ音楽院でカタラーニ、マスカーニ、プッチーニなどを教えた。
超絶技巧の作品として知られる﹃妖精の踊り﹄のほか、2作のオペラ︵﹃トゥーランドット﹄と﹃フランチェスカ・ダ・リミニ﹄︶、6曲の弦楽四重奏曲と弦楽六重奏曲を残している。
作品
- 交響詩 《フランチェスカ・ダ・リミニ》 Op. 77 (ベルリン、1889/90年)
- 弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 WoO (1864年)
- 弦楽四重奏曲 第2番 ニ短調 Op.75 (1877年)
- 弦楽四重奏曲 第3番 変ホ長調 Op.76 (1878年)
- 弦楽四重奏曲 第4番 ト長調 Op.79 (1888年)
- 弦楽四重奏曲 第5番 ト短調 Op.80 (1891年)
- 弦楽四重奏曲 第6番 ヘ長調 Op.82 (1892年)
- 弦楽五重奏曲 イ長調 WoO (1866年、チェロ2)
- ヴァイオリンとピアノのための幻想的スケルツォ 《妖精の踊り (バッジーニ)》 Op.25 (1852年)