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「クレオメネス戦争」の版間の差分

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Tantalos (会話 | 投稿記録)
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== 概要 ==

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== 背景 ==

== 背景 ==




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== 開戦 ==

== 開戦 ==

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当時、アカイア同盟のアラトスはペロポネソスを一つの統一体にしようとしており、それに組せぬ[[アルカディア]]を略奪するなど狼藉を働いていた。こうしてアラトスはクレオメネスの出方を試し、都市も経験も足りぬ若造と彼を見くびってかかった。

当時、アカイア同盟のアラトスはペロポネソスを一つの統一体にしようとしており、それに組せぬ[[アルカディア]]を略奪するなど狼藉を働いていた。こうしてアラトスはクレオメネスの出方を試し、都市も経験も足りぬ若造と彼を見くびってかかった。




[[]][[]], 4[[]]229[[]][[]][[]][[]][[]], II, 46

[[]][[]]<ref>ibid, 4</ref>[[]]229[[]][[]][[]][[]][[]]<ref>, II. 46</ref>


その後クレオメネスはアルカディア内部に進出したが、アカイア同盟との戦争を恐れたエフォロスは彼に撤退を命じ、彼はそれに従った。しかしその直後にアラトスがオルコメノスの北のカヒュアイを占領したため、再びクレオメネスを出撃させた。クレオメネスはアルカディア中央部の[[メテュドリオン]]を占領し、[[アルゴリス]]地方を荒らしまわった。それに対し、紀元前228年5月にアカイア人は[[ストラテゴス]]として[[アリストマコス]]を任じ、彼を[[歩兵]]20000と[[騎兵]]1000からなる軍と共に差し向けた。それに対してスパルタ軍は5000人を切る数であった。両軍は[[パランティオン]]近郊で遭遇した。戦う意思を持っていたクレオメネスをアリスマコスに同行していたアラトスは恐れ、アリストマコスに注意を呼びかけて自らは戦列から身を引いた。このことによってアラトスは見方からは非難され、敵からは嘲弄された。

その後クレオメネスはアルカディア内部に進出したが、アカイア同盟との戦争を恐れたエフォロスは彼に撤退を命じ、彼はそれに従った。しかしその直後にアラトスがオルコメノスの北のカヒュアイを占領したため、再びクレオメネスを出撃させた。クレオメネスはアルカディア中央部の[[メテュドリオン]]を占領し、[[アルゴリス]]地方を荒らしまわった。それに対し、紀元前228年5月にアカイア人は[[ストラテゴス]]として[[アリストマコス]]を任じ、彼を[[歩兵]]20000と[[騎兵]]1000からなる軍と共に差し向けた。それに対してスパルタ軍は5000人を切る数であった。両軍は[[パランティオン]]近郊で遭遇した。戦う意思を持っていたクレオメネスをアリスマコスに同行していたアラトスは恐れ、アリストマコスに注意を呼びかけて自らは戦列から身を引いた。このことによってアラトスは見方からは非難され、敵からは嘲弄された。

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[[紀元前227年]]5月、アラトスはストラテゴスに選出されると[[エーリス|エリス]]を攻撃した。クレオメネスはエリスの援助の要請に応じて出撃した。彼は[[リュカイオン山]]近くで作戦を終えて引き上げているアカイア軍に[[奇襲]]を仕掛け、多数を殺傷した。この戦いでアラトスも戦死したという誤報が流れたが、アラトスはそれを逆手に取り、残余の兵と共にマンティネイアへ行き、敵襲を全く予想していなかったマンティネアを易々と占領した。

[[紀元前227年]]5月、アラトスはストラテゴスに選出されると[[エーリス|エリス]]を攻撃した。クレオメネスはエリスの援助の要請に応じて出撃した。彼は[[リュカイオン山]]近くで作戦を終えて引き上げているアカイア軍に[[奇襲]]を仕掛け、多数を殺傷した。この戦いでアラトスも戦死したという誤報が流れたが、アラトスはそれを逆手に取り、残余の兵と共にマンティネイアへ行き、敵襲を全く予想していなかったマンティネアを易々と占領した。




228[[3]][[]][[5]]4[[]][[]], 5, V, 37

228[[3]][[]][[5]]4[[]][[]]<ref>, 5</ref><ref>, V. 37</ref>


== ラドケイアの戦いとクレオメネスの改革 ==

== ラドケイアの戦いとクレオメネスの改革 ==

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しかし、その時アカイア同盟は内部分裂の危機にあった。同盟離脱の意向を持った都市がいくつも現れ、マケドニア人を呼びこんだアラトスに憤りを感じる者もいたのである。この機に乗じてクレオメネスはアカイアに侵攻し、まずアカイア東部の[[ペレネ]]を強襲して占領し、続いてアルカディア北辺の[[フェネオス]]と[[ペンテレイオン]]を味方につけた。一方アカイア人はその時[[コリントス]]と[[シキュオン]]で裏切りの気配があったのでアルゴスからそちらへ軍を送っていた。

しかし、その時アカイア同盟は内部分裂の危機にあった。同盟離脱の意向を持った都市がいくつも現れ、マケドニア人を呼びこんだアラトスに憤りを感じる者もいたのである。この機に乗じてクレオメネスはアカイアに侵攻し、まずアカイア東部の[[ペレネ]]を強襲して占領し、続いてアルカディア北辺の[[フェネオス]]と[[ペンテレイオン]]を味方につけた。一方アカイア人はその時[[コリントス]]と[[シキュオン]]で裏切りの気配があったのでアルゴスからそちらへ軍を送っていた。




20[[]][[]][[]]ibid, 18[[]][[]]

20[[]][[]][[]]<ref>, 18</ref>[[]][[]]


その頃アラトスはコリントスで親スパルタの人々の審問などを行っていたが、この知らせを聞くやコリントスもがスパルタになびくと思い、市民を評議場に集めて自分はその隙にシキュオンへと逃げ帰った。アラトスの予想は的中し、コリントス人は間もなく市をクレオメネスに明け渡した([[紀元前225年]]8月)。この知らせを聞いたクレオメネスはコリントス人がアラトスを逮捕しなかったことを責め、使者としてメギストヌウスを送り、未だアクロコリントスにはアカイアの守備隊が残っていることからこれを明け渡せば多額の金を渡すことを知らせた。

その頃アラトスはコリントスで親スパルタの人々の審問などを行っていたが、この知らせを聞くやコリントスもがスパルタになびくと思い、市民を評議場に集めて自分はその隙にシキュオンへと逃げ帰った。アラトスの予想は的中し、コリントス人は間もなく市をクレオメネスに明け渡した([[紀元前225年]]8月)。この知らせを聞いたクレオメネスはコリントス人がアラトスを逮捕しなかったことを責め、使者としてメギストヌウスを送り、未だアクロコリントスにはアカイアの守備隊が残っていることからこれを明け渡せば多額の金を渡すことを知らせた。

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そして、アンティゴノスは[[アイトリア]]人が[[テルモピュライ]]で彼の通過を阻止しようとしたために[[エウボイア]]を経由してペロポネソスへ迫った。[[ゲラネイア峠]]を超えつつある敵に対し、クレオメネスは正面から敵の[[ファランクス]]と戦うよりは地の利を活かして戦おうと考え、[[イストモス]]に陣を張り、アクロコリントスと[[オネイア]]の山々の間に柵と塹壕を設けて防衛線を敷いた。前進を阻まれたアンティゴノスは夜間に[[レカイオン]]を経由して突破しようとしたが撃退され、多数の戦死者を出した。万策尽きたアンティゴノスの許へアラトスからの使者がやってきて、アルゴスがスパルタから離反しようとしている旨を伝え、援軍を求めてきた。アンティゴノスはアラトスに1500の兵士を貸し与え、アラトスは海路でエピダウロスへと向った。反乱の指導者[[アリストテレス (アルゴス人)|アリストテレス]](哲学者の[[アリストテレス]]とは別人)はアラトスの到着を待たずにアクロポリスのスパルタ人守備隊に襲い掛かり、続いてシキュオンより[[ティモクセノス]]率いるアカイア軍が駆けつけた。

そして、アンティゴノスは[[アイトリア]]人が[[テルモピュライ]]で彼の通過を阻止しようとしたために[[エウボイア]]を経由してペロポネソスへ迫った。[[ゲラネイア峠]]を超えつつある敵に対し、クレオメネスは正面から敵の[[ファランクス]]と戦うよりは地の利を活かして戦おうと考え、[[イストモス]]に陣を張り、アクロコリントスと[[オネイア]]の山々の間に柵と塹壕を設けて防衛線を敷いた。前進を阻まれたアンティゴノスは夜間に[[レカイオン]]を経由して突破しようとしたが撃退され、多数の戦死者を出した。万策尽きたアンティゴノスの許へアラトスからの使者がやってきて、アルゴスがスパルタから離反しようとしている旨を伝え、援軍を求めてきた。アンティゴノスはアラトスに1500の兵士を貸し与え、アラトスは海路でエピダウロスへと向った。反乱の指導者[[アリストテレス (アルゴス人)|アリストテレス]](哲学者の[[アリストテレス]]とは別人)はアラトスの到着を待たずにアクロポリスのスパルタ人守備隊に襲い掛かり、続いてシキュオンより[[ティモクセノス]]率いるアカイア軍が駆けつけた。



これを知ったクレオメネスは2000人の兵士を与えてメギストヌウスを直ちにアルゴスへと向わせた。しかし、メギストヌウスは戦死し、クレオメネスはアルゴスを失えば自軍は退路を絶たれ、[[ラコニア]]は敵の手に落ちると考え、コリントスから撤退し、自らアルゴスへと向った。クレオメネスがコリントスを発ったすぐ後にアンティゴノスはコリントスに入城して駐屯軍を置き、続いてアルゴスへと向った。アルゴスを攻撃中のクレオメネスはアンティゴノス軍がやってくるのを見ると撤退に転じ、アルゴスを放棄した。この事件を受けてすぐ、あるいは少し時間を置いてクレオメネスに味方した都市はことごとく彼から離反し、アンティゴノスに与した。「こうして彼は、最短の時日で最大の権力を手中に収め、もうすこしというところ、せめてはもう一年もかければ、申し分なくペロポネソス全体の主権者となれたのであったのに、たちまちにして、ここに再び、すべてを失った」(プルタルコス, 21)

これを知ったクレオメネスは2000人の兵士を与えてメギストヌウスを直ちにアルゴスへと向わせた。しかし、メギストヌウスは戦死し、クレオメネスはアルゴスを失えば自軍は退路を絶たれ、[[ラコニア]]は敵の手に落ちると考え、コリントスから撤退し、自らアルゴスへと向った。クレオメネスがコリントスを発ったすぐ後にアンティゴノスはコリントスに入城して駐屯軍を置き、続いてアルゴスへと向った。アルゴスを攻撃中のクレオメネスはアンティゴノス軍がやってくるのを見ると撤退に転じ、アルゴスを放棄した。この事件を受けてすぐ、あるいは少し時間を置いてクレオメネスに味方した都市はことごとく彼から離反し、アンティゴノスに与した。「こうして彼は、最短の時日で最大の権力を手中に収め、もうすこしというところ、せめてはもう一年もかければ、申し分なくペロポネソス全体の主権者となれたのであったのに、たちまちにして、ここに再び、すべてを失った」<ref>ibid, 21</ref>



さらにテゲアにて、最愛の妻[[アギアティス]]の死の知らせが撤退中のクレオメネスに追い討ちをかけた。彼は悲しみに打ちひしがれつつも、表向きは平然とした態度を取り、夜明けと共にテゲアを発ち、スパルタに戻った。

さらにテゲアにて、最愛の妻[[アギアティス]]の死の知らせが撤退中のクレオメネスに追い討ちをかけた。彼は悲しみに打ちひしがれつつも、表向きは平然とした態度を取り、夜明けと共にテゲアを発ち、スパルタに戻った。




3[[]]

クレオメネスの帰国後、エジプトのプトレマイオス3世が母と子を人質として差し出すことを条件にクレオメネスに財政援助を申し出た。プトレマイオスはこれまではアカイア同盟を支援していたが、アンティゴノスを抑えるにはクレオメネスの方が都合が良いと考え、政策を転換したのである。クレオメネスは迷ったが、母[[クラテシクレイア]]は欣然としてそれを受け入れたので、母と子供たちをエジプトに送った。



== セラシアの戦いとスパルタ占領 ==

== セラシアの戦いとスパルタ占領 ==




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200006000200

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== スパルタ占領とその後 ==

== スパルタ占領とその後 ==

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これによって堪忍袋の緒が切れたクレオメネスとその仲間たちは囚人を解放してプトレマイオスに対し反乱を起こそうとしたが失敗し、仲間たちと共に自害した。その後、人質だったクラテシクレイアは孫たちと共に処刑された。

これによって堪忍袋の緒が切れたクレオメネスとその仲間たちは囚人を解放してプトレマイオスに対し反乱を起こそうとしたが失敗し、仲間たちと共に自害した。その後、人質だったクラテシクレイアは孫たちと共に処刑された。


== 註 ==


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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==


2010年5月24日 (月) 16:31時点における版

クレオメネス戦争
紀元前229/228年紀元前222年
場所ペロポネソス半島
結果 アカイア同盟とマケドニアの勝利
領土の
変化
アクロコリントスオルコメノスのマケドニアへの帰属
衝突した勢力
アカイア同盟
アンティゴノス朝マケドニア
その他同盟国
スパルタ
指揮官
アラトス
アンティゴノス3世
クレオメネス3世

: Cleomenean War229/228222


33222


235324[1]




[2]229[3]

退22852000010005000


2275

228354[4][5]




5殿4000


226

333




20[6]

2258使

3使3


退使1500

2000退退退[7]

退

3


550020002223退

2249[8]2



222[9]100003000300100030003003000300100020002001000501600280001200

200006000200


221

334


  1. ^ プルタルコス, 3
  2. ^ ibid, 4
  3. ^ ポリュビオス, II. 46
  4. ^ プルタルコス, 5
  5. ^ ポリュビオス, V. 37
  6. ^ プルタルコス, 18
  7. ^ ibid, 21
  8. ^ ポリュビオス, II. 54
  9. ^ ibid, 2. 65

参考文献