マンティネイア
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マンティネイア Μαντίνεια | |
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![]() ペロポネソス半島 | |
所在地 | |
座標 | 北緯37度37.3分 東経22度23.3分 / 北緯37.6217度 東経22.3883度座標: 北緯37度37.3分 東経22度23.3分 / 北緯37.6217度 東経22.3883度 |
行政 | |
国: | ![]() |
地方: | ペロポネソス |
県: | アルカディア県 |
ディモス: | トリポリ |
人口統計 (2011) | |
旧自治体 | |
- 人口: | 2,114 人 |
- 面積: | 205.393 km2 |
- 人口密度: | 10 人/km2 |
その他 | |
標準時: | EET/EEST (UTC+2/3) |
標高: | 600 m |
郵便番号: | 220 05 |
市外局番: | 2710 |
自動車ナンバー: | TP |
マンティネイア[1]︵古希: Μαντίνεια Mantineia マンティニア[2]、マンディニア[2]、マンディネア[3]とも︶は、古代ギリシアのペロポネソス半島のアルカディア地方にあったポリスの一つ。三度﹁マンティネイアの戦い﹂が起きたことで知られる[1]。現代ではギリシア共和国のアルカディア県の旧自治体であり、新自治体のトリポリに含まれる。
歴史
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d1/Mantinia_Ancient_Theater.jpg/220px-Mantinia_Ancient_Theater.jpg)
紀元前500年ごろ、5つの集落の移住によるシュノイキスモスで成立し、民主政を採用した[1][4]。市名はリュカオンの子マンティネウスにちなむ[1]。
ペルシア戦争後、スパルタと友好を結びテゲアと絶えず対立した[1]。ペロポネソス戦争中の紀元前420年、アテナイ、アルゴス、エリスと同盟を結び、スパルタと対立するようになった[1]︵ニキアスの和約後のアルキビアデスによる同盟︶。紀元前418年、一度目の﹁マンティネイアの戦い﹂が起こり、同盟軍はアギス2世率いるスパルタ軍に敗戦した[1]。
紀元前385年、スパルタ軍によるマンティネイア包囲に敗戦し、シュノイキスモスの逆である﹁ディオイキスモス﹂すなわちポリスの解体を強制された[1][4]。
紀元前371年、レウクトラの戦いでテバイがスパルタに勝つと、翌紀元前370年、テバイによりポリスが再建されたが、市民はテバイを恐れスパルタと同盟を結んだ[1]。紀元前362年、二度目の﹁マンティネイアの戦い﹂が起こり、スパルタとともにテバイに敗戦した[1]。テバイの名将エパメイノンダスはこの戦いで命を落とした[1]。
ヘレニズム期にはアカイア同盟に入りスパルタと対立したが、度々同盟を裏切ったため、紀元前223年、シキュオンのアラトスにより市民の処刑や奴隷化がおこなわれ、市名を﹁マンティネイア﹂からアラトスの支援者アンティゴノス3世にちなむ﹁アンティゴネイア﹂に強制改名された[1]。紀元前207年、三度目の﹁マンティネイアの戦い﹂が起こり、ピロポイメン率いるアカイア同盟軍がマカニダス率いるスパルタ軍に勝利した[1]。
ローマ帝国期、ハドリアヌス帝によるギリシア文化復興の一環として[5]、125年に市名が﹁マンティネイア﹂に戻された[1]。パウサニアス﹃ギリシア案内記﹄第8巻には当時のマンティネイアが記録されている。市内にはアルカスの遺骨が保存されており、ゼウスを始めとする諸神の神殿や、ハドリアヌスが寵愛した美少年アンティノウスの神殿があった[1]。
現代では、ギリシア共和国のトリポリやネスタニにあたる。﹁トリポリ﹂という名はマンティネイア、テゲア、パランティオンの三ポリスの付近であることにちなむ[3]。遺跡として、市壁や塔門の基礎、アゴラや劇場の一部が現存する[1]。出土品にアテネ国立考古学博物館所蔵のMantineia Baseがある。保護原産地呼称を持つギリシアワインの名産地でもある[2]。
出身者
[編集]脚注
[編集]
(一)^ abcdefghijklmnop松原國師﹃西洋古典学事典﹄京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256。1238f頁。
(二)^ abc“﹁マンティニア﹂を詳しく解説 - ワインリンク”. ワインリンク︻Wine-Link︼. 2023年1月13日閲覧。
(三)^ ab清水康弘﹃魅惑のギリシャ ―清水大使の案内記―﹄ブイツーソリューション、2022年。ISBN 9784434306952。
(四)^ ab新村祐一郎﹁シュノイキスモスの意味について﹂﹃歴史教育﹄第13-4号、歴史教育研究会、1965年。 NAID 40003821595。21頁。
(五)^ 南川高志 著﹁ローマ帝国とギリシア文化﹂、藤縄謙三 編﹃ギリシア文化の遺産﹄南窓社、1993年。ISBN 4816501142。87頁。