「トマス・ロバート・マルサス」の版間の差分
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|特記すべき概念 = [[人口論]]<BR />[[過少消費説]]([[有効需要|有効需要論]])の主張 |
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'''トマス・ロバート・マルサス'''︵{{Lang-en|Thomas Robert Malthus}}{{IPAc-en|ˈ|m|æ|l|θ|ə|s}}、[[1766年]][[2月14日]]{{Efn|2月13日・17日説もあり}} - [[1834年]][[12月23日]]︶は、[[イギリス]]の[[経済学者]]。[[古典派経済学]]を代表する経済学者で、[[過少消費]]説、[[有効需要|有効需要論]]を唱えた人物として知られる<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=マルサスとは|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B9-137583|website=コトバンク|accessdate=2020-12-27|publisher=}}</ref>。
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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[[File:Malthus - Essay on the principle of population, 1826 - 5884843.tif |thumb|『人口論(''Essay on the principle of population'' )』、1826年版]] |
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父は弁護士で植物学者 |
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[[イングランド]]の[[サリー (イングランド)|サリー州]]{{仮リンク|ウェストコット|en|Westcott, Surrey|label=}}にダニエル・マルサスの第2子として生まれる<ref>{{Cite web|title=Finding the Reverend Malthus at Bath Abbey|url=https://www.wessexarch.co.uk/news/finding-reverend-malthus-bath-abbey|website=www.wessexarch.co.uk|accessdate=2020-12-27|language=en|publisher=Wessex Archaeology Ltd}}</ref>。 |
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父ダニエルは[[弁護士]]で[[植物学]]者で、[[啓蒙主義]]者であった。彼は[[ジャン=ジャック・ルソー]]や[[デイヴィッド・ヒューム]]と親交があり、マルサスの生年1766年に自宅にルソーとヒュームを招待している<ref name="yasashii24">中矢俊博 ﹃やさしい経済学史﹄ 日本経済評論社、2012年、24頁。</ref>。''Malthus'' の名前の由来は''[[:en:Malthouse|Malthouse]]'' ︵[[麦芽製造所]]︶、つまりウィスキー工場とされている<ref>[[ジョン・メイナード・ケインズ]] ﹃J.M.ケインズ 人物評伝﹄75頁より</ref><ref name=":1">小泉祐一郎 ﹃図解経済学者バトルロワイヤル﹄ ナツメ社、2011年、221頁。</ref>。
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18歳で[[ケンブリッジ大学]]ジーザス・カレッジに入学し、数学と文学を学び、1788年に卒業した後、キリスト教[[執事#キリスト教の職位|執事]]を目指して勉学に励んだ。その間の1796年に『危機』を著した。出版はしなかったが、これが最初の著書となった<ref>フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 27ページ</ref>。 |
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マルサスは家庭教師から指導を受け、また父からもきめ細かな教育を受けて育った。 |
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[[1793年]]、母校の[[ケンブリッジ大学]]ジーザス・カレッジにて特別研究員となり<ref>Venn, J.; Venn, J. A., eds. (1922–1958). "Malthus, Thomas Robert". Alumni Cantabrigienses (10 vols) (online ed.). Cambridge University Press.</ref>、[[1805年]]には東インド・カレッジ(通称ヘイリーベリー・カレッジ)の教授となった<ref>Malthus T. R. 1798. An Essay on the Principle of Population. Oxford World's Classics reprint: xxix Chronology.</ref>。経済学の教授の任命は、イギリスでは初めてのものだった<ref name="yasashii24" />。 |
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1784年、18歳で[[ケンブリッジ大学]][[:en:Jesus College, Cambridge|ジーザス・カレッジ]]に入学<ref name=":1" />。数学と文学を学ぶ。1788年に卒業した後、キリスト教[[執事_(キリスト教)|執事]]を目指して勉学に励んだ。後に牧師職につき、マルサス師と呼ばれることとなる<ref name=":0" />。 |
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⚫ | [[1798年]]に匿名で小冊子の主著『[[人口論]]』を著し<ref>日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、150頁。</ref><ref name="syosainomado">[http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1403/12.html 経済学史の窓から 第7回 マルサスは陰鬱な科学者か?]書斎の窓</ref>、この中で「[[幾何級数]]的に増加する人口と[[算術級数]]的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち[[貧困]]が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」とする見方(「'''マルサスの罠'''」)を提唱した |
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[[1793年]]、母校の[[ケンブリッジ大学]]ジーザス・カレッジにて特別研究員となり<ref>Venn, J.; Venn, J. A., eds. (1922–1958). "Malthus, Thomas Robert". Alumni Cantabrigienses (10 vols) (online ed.). Cambridge University Press.</ref>、その間の1796年に﹃危機﹄を著した。出版はしなかったが、これが最初の著書となった<ref>フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修﹃ラルース 図説 世界史人物百科﹄Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 27ページ</ref>。
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⚫ | [[1798年]]に匿名で小冊子の主著『[[人口論]]』を著し<ref>日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、150頁。</ref><ref name="syosainomado">[http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1403/12.html 経済学史の窓から 第7回 マルサスは陰鬱な科学者か?]書斎の窓</ref>、この中で「[[幾何級数]]的に増加する人口と[[算術級数]]的に増加する食糧の差により[[人口過剰]]、すなわち[[貧困]]が発生する。これは必然であり、[[社会制度]]の改良では回避され得ない」とする見方(「'''[[マルサスの罠]]'''」)を提唱した。 |
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1810年に『不換紙幣に関する論考』を、1814年には『小麦法の効果についての考察』、1815年に『地代の性質と増加についての調査』などを著している。[[1820年]]には[[デヴィッド・リカード]]の経済説に反論した『経済学原理』(小林時三郎訳注、[[岩波文庫]]上下)を著した。日本語訳書では『マルサス北欧旅行日記』(小林時三郎、西沢保訳、[[未來社]]、2002年)および『マルサス学会年報』〈マルサス学会編、1991年-2006年度版、2008年10月刊行、[[雄松堂出版]]〉15冊がある。 |
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1799年、マルサスはドイツ、スウェーデン、フィンランド、ロシアに滞在し、その国の人口を観測し、自説の補強に力を注いだ。そして、『人口論』第2版を1803年に出した。この版には政治経済に関する重要論文が追加されている。このようなマルサスの考え方を非難するものも多数いたが、一方名声も大きなものになり、[[産児制限]]で最貧困層を救おうとする考えを「'''[[マルサス主義]]'''」ともいわれるようになった。 |
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経済学者として認知されるようになり、[[1805年]]には新しく設立された[[イギリス東インド会社|東インド会社]]付属学校(通称ヘイリーベリー・カレッジ)の政治経済学教授の職に付き<ref>Malthus T. R. 1798. An Essay on the Principle of Population. Oxford World's Classics reprint: xxix Chronology.</ref>、官僚の育成に当たっている<ref name="marusasu">フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命―世界大戦前夜 原書房 2005年 28ページ</ref>。経済学の教授の任命は、イギリスでは初めてのものだった<ref name=":0" /><ref name="yasashii24" />。 |
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マルサスは、[[東インド会社カレッジ]]の教授として終生務め、保養地の[[バース (イングランド)|バース]]で没したのは1834年12月29日である。その間、『人口論』を改定するなど執筆活動を旺盛に行った。 |
マルサスは、[[東インド会社カレッジ]]の教授として終生務め、保養地の[[バース (イングランド)|バース]]で没したのは1834年12月29日である。その間、『人口論』を改定するなど執筆活動を旺盛に行った。 |
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ジョン・メイナード・ケインズはマルサスについて「もしリカードではなくマルサスが19世紀の経済学の根幹をなしていたなら、今日の世界ははるかに賢明で、富裕な場所になっていたに違いない。ロバート・マルサスは、ケンブリッジ学派の始祖である」と評価している<ref>中矢俊博 『やさしい経済学史』 日本経済評論社、2012年、25頁。</ref>。 |
ジョン・メイナード・ケインズはマルサスについて「もしリカードではなくマルサスが19世紀の経済学の根幹をなしていたなら、今日の世界ははるかに賢明で、富裕な場所になっていたに違いない。ロバート・マルサスは、ケンブリッジ学派の始祖である」と評価している<ref>中矢俊博 『やさしい経済学史』 日本経済評論社、2012年、25頁。</ref>。 |
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マルサスの罠は[[ハーバー・ボッシュ法]]による窒素の[[化学肥料]]の誕生や[[過リン酸石灰]]によるリンの化学肥料の誕生により克服された<ref name="hiryou">[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/104/mgzn10408.html 独立行政法人農業環境技術研究所「情報:農業と環境 No.104 (2008年12月1日) 化学肥料の功績と土壌肥料学」]</ref>。 |
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== 著作 == |
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*[[1798年]] - 小冊子『[[人口論]]』を匿名で刊行。 |
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*1810年 - 『[[不換紙幣]]に関する論考』 |
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*1814年 - 『[[穀物法|小麦法]]の効果についての考察』 |
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*1815年 - 『[[地代]]の性質と増加についての調査』 |
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*[[1820年]] - 『[[:en:Principles of Political Economy (Malthus book)|経済学原理]] 』:[[デヴィッド・リカード]]の経済説への反論。(小林時三郎訳注、[[岩波文庫]]上下) |
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;日本語訳書 |
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*『マルサス北欧旅行日記』(小林時三郎、[[西沢保]]訳、[[未來社]]、2002年) |
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*『マルサス学会年報』〈マルサス学会編、1991年-2006年度版、2008年10月刊行、[[雄松堂出版]]〉15冊 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
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*[[マルサス主義]] |
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*[[人口統計学]] |
* [[人口統計学]] |
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*[[人口論]] |
* [[人口論]] |
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==外部リンク== |
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* {{青空文庫著作者|1149|マルサス トマス・ロバート}} |
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* {{Kotobank|マルサス}} |
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[[Category:トマス・ロバート・マルサス|*]] |
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[[Category:イギリスの経済学者]] |
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[[Category:聖公会の聖職者]] |
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[[Category:イングランドのキリスト教の人物]] |
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2023年10月21日 (土) 13:16時点における最新版
古典派経済学 | |
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生誕 | 1766年2月14日 |
死没 | 1834年12月23日(68歳没) |
影響を 受けた人物 |
ジャン=シャルル=シスモンディ デヴィッド・リカード |
影響を 与えた人物 |
チャールズ・ダーウィン ジョン・メイナード・ケインズ |
実績 |
人口論 過少消費説(有効需要論)の主張 |
来歴[編集]
思想・影響[編集]
マルサスの思想は、経済学のうえでは、人間理性の啓蒙による理想社会の実現を主張するウィリアム・ゴドウィンやニコラ・ド・コンドルセへの批判とも位置づけられる。 ﹃人口論﹄は次のような命題につながる。人口の抑制をしなかった場合、食糧不足で餓死に至ることもあるが、それは人間自身の責任でありこれらの人に生存権が与えられなくなるのは当然のことである[12]。戦争、貧困、飢饉は人口抑制のためによい[13]。これらの人を社会は救済できないし、救済すべきでないとマルサスは考えた[14]。これらマルサスによる生存権の否定は、ジャーナリストのウィリアム・コベットなどから人道に反すると批判を受けた[14]。 人口を統計学的に考察した結果、﹁予防的抑制﹂と﹁抑圧的抑制﹂の二つの制御装置の考え方に到ったが、この思想は後のチャールズ・ダーウィンの進化論を強力に支える思想となった[15]。特に自然淘汰に関する考察に少なからず影響を与えている[11]。すなわち、人類は叡智があり、血みどろの生存競争を回避しようとするが、動植物の世界にはこれがない。よってマルサスの人口論のとおりの自然淘汰が動植物の世界には起きる。そのため、生存競争において有利な個体差をもったものが生き残り、子孫は有利な変異を受け継いだとダーウィンは結論したのである。 またマルサスは救貧法について、貧者に人口増加のインセンティブを与えるものであり、貧者を貧困にとどめておく効果があるとし、漸進的に廃止すべきであると主張していた[9]。 ジョン・メイナード・ケインズはマルサスについて﹁もしリカードではなくマルサスが19世紀の経済学の根幹をなしていたなら、今日の世界ははるかに賢明で、富裕な場所になっていたに違いない。ロバート・マルサスは、ケンブリッジ学派の始祖である﹂と評価している[16]。 マルサスの罠はハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により克服された[17]。著作[編集]
●1798年 - 小冊子﹃人口論﹄を匿名で刊行。 ●1810年 - ﹃不換紙幣に関する論考﹄ ●1814年 - ﹃小麦法の効果についての考察﹄ ●1815年 - ﹃地代の性質と増加についての調査﹄ ●1820年 - ﹃経済学原理 ﹄:デヴィッド・リカードの経済説への反論。︵小林時三郎訳注、岩波文庫上下︶ 日本語訳書 ●﹃マルサス北欧旅行日記﹄︵小林時三郎、西沢保訳、未來社、2002年︶ ●﹃マルサス学会年報﹄︿マルサス学会編、1991年-2006年度版、2008年10月刊行、雄松堂出版﹀15冊脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 2月13日・17日説もあり
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- マルサス トマス・ロバート:作家別作品リスト - 青空文庫
- 『マルサス』 - コトバンク