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「トマス・ロバート・マルサス」の版間の差分

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[[1793年]]、母校の[[ケンブリッジ大学]]ジーザス・カレッジにて特別研究員となり<ref>Venn, J.; Venn, J. A., eds. (1922–1958). "Malthus, Thomas Robert". Alumni Cantabrigienses (10 vols) (online ed.). Cambridge University Press.</ref>、[[1805年]]には東インド・カレッジ(通称ヘイリーベリー・カレッジ)の教授となった<ref>Malthus T. R. 1798. An Essay on the Principle of Population. Oxford World's Classics reprint: xxix Chronology.</ref>。経済学の教授の任命は、イギリスでは初めてのものだった<ref name="yasashii24" />。

[[1793年]]、母校の[[ケンブリッジ大学]]ジーザス・カレッジにて特別研究員となり<ref>Venn, J.; Venn, J. A., eds. (1922–1958). "Malthus, Thomas Robert". Alumni Cantabrigienses (10 vols) (online ed.). Cambridge University Press.</ref>、[[1805年]]には東インド・カレッジ(通称ヘイリーベリー・カレッジ)の教授となった<ref>Malthus T. R. 1798. An Essay on the Principle of Population. Oxford World's Classics reprint: xxix Chronology.</ref>。経済学の教授の任命は、イギリスでは初めてのものだった<ref name="yasashii24" />。



[[1798年]]に主著『[[人口論]]』を著し、この中で「[[幾何級数]]的に増加する人口と[[算術級数]]的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち[[貧困]]が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」とする見方(「'''マルサスの罠'''」)を提唱した。つまり、人類の幸福を追求する方法を提案したのである{{how|date=2013年3月}}。

[[1798年]]に匿名で主著『[[人口論]]』を著し<ref>[http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1403/12.html 経済学史の窓から 第7回 マルサスは陰鬱な科学者か?]書斎の窓</ref>、この中で「[[幾何級数]]的に増加する人口と[[算術級数]]的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち[[貧困]]が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」とする見方(「'''マルサスの罠'''」)を提唱した。つまり、人類の幸福を追求する方法を提案したのである{{how|date=2013年3月}}。



マルサスはドイツ、スウェーデン、フィンランド、ロシアに滞在し、その国の人口を観測し、自説の補強に力を注いだ。そして、より科学的な『人口論』第2版を1803年に出した。この版には政治経済に関する重要論文が追加されている。このようなマルサスの考え方を誹謗するものも多数いたが、一方名声も大きなものになり、産児制限で最貧困層を救おうとする考えを「'''[[マルサス主義]]'''」ともいわれるようになった。経済学者として認知されるようになり、1803年には新しく設立された[[東インド会社]]付属学校の政治経済学教授の職に付き、官僚の育成に当たっている<ref name="marusasu">フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命―世界大戦前夜 原書房 2005年 28ページ</ref>。

マルサスはドイツ、スウェーデン、フィンランド、ロシアに滞在し、その国の人口を観測し、自説の補強に力を注いだ。そして、より科学的な『人口論』第2版を1803年に出した。この版には政治経済に関する重要論文が追加されている。このようなマルサスの考え方を誹謗するものも多数いたが、一方名声も大きなものになり、産児制限で最貧困層を救おうとする考えを「'''[[マルサス主義]]'''」ともいわれるようになった。経済学者として認知されるようになり、1803年には新しく設立された[[東インド会社]]付属学校の政治経済学教授の職に付き、官僚の育成に当たっている<ref name="marusasu">フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命―世界大戦前夜 原書房 2005年 28ページ</ref>。


2014年5月27日 (火) 10:56時点における版

トマス・ロバート・マルサス
古典派経済学
生誕 1766年2月14日
死没 (1834-12-23) 1834年12月23日(68歳没)
影響を
受けた人物
ジャン=シャルル=シスモンディ
デヴィッド・リカード
影響を
与えた人物
チャールズ・ダーウィン
ジョン・メイナード・ケインズ
実績 人口論
過少消費説有効需要論)の主張 
テンプレートを表示

Thomas Robert Malthus1766214[1] - 18341223


1766[2]MalthusMalthouse J.M. 75[3]2

1817881796[4]

1793[5]1805[6][2]

1798[7]()[?]

218031803[8]

181018141815調1820西2002︿1991-200620081015

18341229




[9][10][11][11]

[12][8]

19[13]

脚注



(一)^ 21317

(二)^ ab  201224

(三)^   2011221

(四)^      200527

(五)^ Venn, J.; Venn, J. A., eds. (19221958). "Malthus, Thomas Robert". Alumni Cantabrigienses (10 vols) (online ed.). Cambridge University Press.

(六)^ Malthus T. R. 1798. An Essay on the Principle of Population. Oxford World's Classics reprint: xxix Chronology.

(七)^  7 

(八)^ ab     200528

(九)^     201292

(十)^   ︿2002388

(11)^ ab    201293

(12)^   201226

(13)^   201225

関連項目