ノート:日本の首都/過去ログ1
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「都」と首都
- その立論(Web上でしばしば見られる)に立てば東京府から東京都に変遷してきた歴史的経緯を(明治初年度から)一貫的に説明できないのです。東京府、東京都制あたり参照。京都の記事中にも触れた記述がありました。--大和屋敷 2010年1月11日 (月) 12:03 (UTC)
京都を首都とする説
sieと申します。横から割り込み失礼いたします。俊平太郎様が﹁京都首都論﹂の出典を御希望のようですので、お答えします。岡部精一﹃東京奠都の真相﹄︵仁友社、1917年︶。この書は歴史学的に﹁東京奠都﹂を論じた中で、現在にいたるまで最も詳細な論議をおこなっています。岡部氏の結論は、﹁明治天皇は、東西同視の観点に基づき、西方の京である京都に対して、東方の京である東京を定めたのである。したがって、京都から東京に遷都されたわけではなく、東京と京都は今でも両方ともに日本の首都である﹂ということになります。そもそも、ひとつの国に首都が複数存在すること︵﹁複都制﹂︶もありうるのですから、岡部説に立つ場合には、東京か京都か﹁どちらが﹂日本の首都か、を論じることは無意味になります。この観点にもとづき、明治〜昭和前期の政府は、即位礼は伝統的首都である京都でおこなうなど、京都にも首都の機能の一部を果たさせていました。その点からいうと、政府が京都に対する﹁首都﹂扱いを止めたのは、第二次世界大戦の敗戦以降のことです。そして、戦後にも京都首都論は、梅棹忠夫氏︵﹃梅棹忠夫著作集 京都文化論﹄︶などの京都の学者によって復活されています。たしか、国会でも﹁京都の人は今でも京都を日本の首都だとみなしているがいかがか﹂という質問に対して首相︵たしか、宮沢喜一氏︶が﹁そういう議論は承知している。京都和風迎賓館の設立などによって、京都の人々のそうした想いに応えていきたい﹂という議論がありました。ともあれ、少なくとも戦前にはこうした議論が支持され、それが今にいたるまで持ちこされていたのですから、百科事典という性格上、これを整理して情報を提供することは必要ではないでしょうか。 なお、上の方に﹃﹁平安遷都令﹂と呼ばれている詔﹄についての議論がありますが、これには誤解があるようです。延暦13年10月28日の詔は、残念ながら史料残存の都合で全文が残っていないだけで、平安京と命名されることになる都に﹁遷都﹂を宣言した内容であることは、歴史学をちょっとかじった人間であればすぐに理解できます。 --利用者:sie 2007年9月4日 (水) 15:10 sieさん。ありがとうございます! 岡部精一﹃東京奠都の真相﹄がよさそうですね。これを出典にして本文に﹁京都首都論﹂を執筆していただけないでしょうか。お願いします。私では責任もって書けないもので。◆梅棹忠夫氏に関しては、彼は還都論ではありませんでしたか?◆国会答弁に関しては、議事録検索で簡単に見つけられます。ちょっと調べてみます。◆﹁即位礼があるから首都の機能を一部果している﹂論は既に大日本帝国の首都の項に書いてあります。確か私が書いたのですが、この論の確たる出典がないのに書いてました︵反則ですね︶。この論に関する出典も可能であればお願いします。︵申すまでもありませんが、即位礼に関する規定の出典ではなく、﹁だから首都機能﹂を論じている出典です。︶◆なお、延暦13年10月28日の詔書に関するご意見は、全く納得できません。残存していない部分を想像で補うのは反則です。残存部分だけでは江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書と大差ありませんので、残存部分だけで延暦13年10月28日の詔書を﹁遷都の宣言﹂だと﹁理解﹂するならば、江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書も﹁遷都の宣言﹂だと﹁理解﹂できてしまいそうです。どちらも余計な﹁理解﹂はしないほうがいいと思います。--俊平太郎 2007年9月4日 (火) 12:35 (UTC) sieです。﹁京都首都論﹂、俊平太郎さんのお許しがでましたので、もうちょっと勉強して、本文に書き込んでみたいと思います。◆梅棹忠夫氏は、﹁京都人の考えでは、今も日本の首都は京都である→しかし、現実的には東京が首都となってしまっている→だから、天皇を京都に戻すことによって、京都をもう一度本当の首都にしたい﹂という文脈での﹁還都論﹂です。したがって、彼のこの議論の中には﹁京都首都論﹂が含まれています。◆明治の京都の首都機能については、奈良女子大学の小路田泰直教授︵近代史︶が論じられています。 ◆国会議事録検索、やってみました。平成04年11月26日の衆議院﹁国会等の移転に関する特別委員会﹂です。渡辺一郎議員が、"東京遷都に関しては政府は今まで一度として遷都だという見解を表明したことがない。これには京都人は、京都こそが都であると信じている"、と質問したのに対して、宮沢首相は、"役所が私のために用意してくれたペーパーには﹁東京が首都であることは広く認識されている﹂と言え、と書かれているが、京都の方々がそういう風に思っておられるということは私も京都に行くたびに聞いている。したがって、﹁京都が持っているそういういろいろな気持ちというのは、いろいろなことでこたえられるものならこたえてさしあげた方がいい、またそれは決して無意味なことではないというふうに、私はかねがねの気持ちとしては思っております﹂、と答弁されています。国会の場でこういう議論がなされているのですから、やはり﹁京都首都論﹂は単なる都市伝説であるとかネット上の無責任な妄説というのではなく、正面からとりあげる価値があるのではないでしょうか。 ◆﹁平安京遷都の詔﹂のことですが、失礼ですが、もしかすると、延暦13年11月7日詔がそれだと誤解されていませんか? 世間ではしばしばそう誤解されていますので・・・ 11月7日詔はあくまで﹁新しい都を平安京と呼び、それにともなって山背国を山城国に、古津を大津に改名する﹂ための詔です。それに対して、10月28日詔は﹃日本紀略﹄の記事の中で﹁都を遷す﹂という語に続けて引用されているのであり、明らかに﹁葛野京︵後に平安京と改名︶への遷都の詔﹂です。それを﹁余計な理解﹂とまで言われては、歴史研究はまったく立ちゆかないことになります。--利用者:sie 2007年9月5日 (水) 01:15 ↑ すみません。間違えました。誤﹁延暦13年11月7日詔﹂→正﹁延暦13年11月8日詔﹂です。訂正願います。--利用者:sie 2007年9月5日 (水) 01:40 ひさしぶりに来たら、ご質問をいただいていたので回答します。 >>﹁平安遷都令﹂が日本国憲法下では法源として認められていないなら、平安時代の首都はどこでしょう? 平安時代の首都は平安京ではないですか?しかし、それは今日の法律の関知するところではありません。歴史学の分野です。﹁法令データ提供システム﹂で﹁平安﹂を検索しますと、沖縄県の﹁平安座﹂︵へんざ︶という地名がいくつかヒットするのと、航空法施行令に﹁水平安定板﹂の語があるだけです。法律上は、日本国の首都は東京と考えられます。 Haguiiさんへのお答えとは離れて、宮澤首相の答弁は私も議事録で確認しました。政治家らしくうまく逃げた発言ですね。しかし、sieさんが述べられたような一連の流れがあるなら、それについては法律論とは別に、掲載する価値があると思います。 --ぬこ1号 2007年9月7日(金) 20:46 (UTC) その﹁法律上日本の首都が東京﹂の根拠が無いのです。なんとなく東京であるという雰囲気になってるだけだと思います。﹁平安京=京都﹂から東京に都が移っていないから、今も京都のまま、つまり﹁京都首都論﹂や﹁東京京都両首都論﹂があるのです。単なる都市伝説ではないことは、sieさんの言われたとおりです。--Haguii 2007年9月7日 (金) 22:37 (UTC) ﹁法律上日本の首都が東京﹂の根拠は無数にあります。政府が運営している﹁法令データ提供システム﹂でヒットする、﹁首都﹂の語が全部、東京を指しているという、このことだけでも十分で、それ以上の説明は必要ないといっても過言ではありません。なぜ、執拗に首都建設法や首都圏整備法を避けて逃げるのですか?﹁第一条 日本国の首都は東京都に設置する﹂という条文がなければ、東京は首都と認められないとお思いでしたら、それは、失礼ですが、法律にはお詳しくないのでしょう。それなら、この国の名称を﹁日本国﹂と定める法律はありません。﹁憲法のタイトルが日本国憲法であるから、間接的に示しているに過ぎない﹂と言えばいいのでしょうか︵笑︶。日本の国語が日本語だという規定もありませんよ。 --ぬこ1号 2007年9月8日(土) 12:10 (UTC) 追伸 ﹁今も京都のまま、つまり﹁京都首都論﹂や﹁東京京都両首都論﹂がある﹂とのことですが、﹁一部にそのような私論がある﹂というだけのことです。法律上は認められません。岡部精一の﹁東京奠都の真相﹂も、﹁1917年当時の状況における一学説﹂という点にご留意ください。 --ぬこ1号 2007年9月8日(土) 12:22 (UTC) 東京首都論も私論ですよ。東京を首都とした法律・命令は存在しません。また、京都の首都も廃止されていません。--Haguii 2007年9月8日 (土) 04:35 (UTC) >>東京首都論も私論ですよ。 私論ではありません。戦後の首都建設法が東京都を首都と位置づけ、それを継承する形で現在の首都圏整備法があります。 >>東京を首都とした法律・命令は存在しません。 少なくとも186件は存在します。 >>京都の首都も廃止されていません。 そもそも、大昔の﹁平安遷都令﹂は法源として認められない︵=法的効力がない︶ので、﹁廃止﹂の手続は必要ありません︵もともと効力がないものを、いちいち廃止したりしない︶。 逃げないで私の質問にも答えてください。1.﹁法令データ提供システム﹂には現在、日本国内で有効なすべての法律︵と廃止されたが実務上は参照する必要がある一部の法律︶が収録されており、これで検索可能な﹁首都﹂を含む条文はすべて﹁東京﹂を指していますが、これをどう説明するのか。2.特に首都建設法と首都圏整備法をどう説明するのか。 --ぬこ1号 2007年9月8日(土) 14:56 (UTC) 首都圏整備法の首都の定義を語るのに論外の法です。首都圏の内側にある都市だから首都であるとは本末転倒です。首都建設法はまだマシです。ただこれは東京を首都として位置づけているのではなく、首都として開発しましょうということです。他に東京を首都と仮定して書いている法がたくさんあるのは知っていますよ。近代法として最初に書かれたのが︵私の知る限り︶大正時代ですね。では、明治時代の日本の首都はどこでしょう? 平安遷都は法的効力がないのなら、平安時代の首都を京都というのは矛盾です。 日本史の中で平安遷都令に法的効力があったと考えるのが自然であり、今でも効力があるのか、あるいはいつ無くなったか議論が必要だと思います。--Haguii 2007年9月8日 (土) 12:02 (UTC) sieさんへ。問題は﹁詔で平安遷都を宣言したのか﹂という点にあります。10月28日詔に関して﹃日本紀略﹄が引用している部分は、葛野の大宮の地は山川も麗しく交通も便利だ、といっているだけで遷都を意味する内容ではないことは、sieさんもご承知のとおりです。﹁都を遷す﹂は地の文であり、これを以って詔の非残存部分を想像するのであれば、歴史研究から明らかに逸脱した行為です。想像に基づいてウィキペディを執筆されるのであれば、遠慮なく修正させていただきます。◆それと、投稿者は﹁211.2.13.171﹂、署名は﹁sie﹂となっているのですが、どちらが正しいのでしょうか? 多重アカウントの管理上のミスでしょうか? 投稿時刻と署名の時刻もずれていますし。署名するときには、~を四つ続けて書くと、自動的に署名と時間に変換されますよ。--俊平太郎 2007年9月8日 (土) 14:19 (UTC) 俊平太郎さま。sieです。﹁歴史研究から明らかに逸脱した行為﹂﹁想像に基づいてウィキペディを執筆﹂﹁遠慮なく修正させていただきます﹂など、えらく挑戦的で恫喝的な言葉を並べられますね。私は、あなたが﹁京都首都論の出典を知りたい﹂と何度もくりかえされているので、親切で私の知る限りの事実をお教えしたつもりでした。﹁平安遷都の詔﹂のことについても、別にあなたに喧嘩を売っているわけではなく、歴史学をかじっている者のひとりとして、ごく常識的だと思っている意見をのべさせてもらったにすぎません。意見の違う者同士が議論して、百科事典として妥当な記述を模索する、というのがこの﹁ノート﹂の役割だと思っていたのですが、俊平太郎さまの御理解では、自分と違ったスタンスの意見は﹁逸脱﹂﹁想像に基づく﹂ということで﹁遠慮なく修正する﹂ということになるようですので、議論することは時間の無駄のようですね。引き下がることにいたします。お時間をとらせて申し訳ありませんでした。署名のやりかたについてのご教示には、感謝します。211.2.46.20 2007年9月8日 (土) 16:17 (UTC)sie ぬこ1号さん やめるのは勝手ですが、これだけは答えてください。 ぬこ1号さんの考えを整理するとこうなると思うのでそれに対する質問をします。 ①首都圏整備法による首都圏の内側にあるから東京は首都である。︵首都圏内の他の都市は首都?︶ ②平安遷都は法的効力が無い。︵平安時代以降の首都はどこ?︶ それと東京はいつ首都になったと思いますか?その根拠を教えてください。 日本の伝統的なルールとして、天皇陛下が御座される場所が都でした。今は京都ですね。--Haguii 2007年9月8日 (土) 22:41 (UTC) お答えします。 >>①首都圏整備法による首都圏の内側にあるから東京は首都である。︵首都圏内の他の都市は首都?︶ そんなことを誰が書きましたか?﹁首都圏の外側に首都はない﹂とは書きましたが、これは﹁首都圏の内側は首都である﹂とは異なります。横浜市や千葉市は、首都圏の内側でも、首都ではありません。ただし﹁首都は首都圏の内側にある﹂とは思います。首都圏整備法の前身たる首都建設法で、東京都を首都と規定したことと合わせると、東京都が首都という結論になります。また、首都圏の外側である京都市は首都ではあり得ません。 >>②平安遷都は法的効力が無い。︵平安時代以降の首都はどこ?︶ そんなことを誰が書きましたか?﹁日本国憲法下において平安遷都令は法源とはならない﹂とは繰り返して書いていますが、延暦13年当時から効力がなかったなどと書いた覚えはありません。補足しますと、私は平安遷都令だけを目の敵にしているわけではなく、現在、明治維新以前の法令は一切、効力がありません。これはここで議論すべきようなことではなく、争いの余地のない法律学上の常識です。また、現在、有効な法令は総務省の﹁法令データ提供システム﹂にすべて収録されていることもご紹介しています。お疑いなら存分に検索なさってください。 ﹁平安時代以降の首都はどこ?﹂という質問は、そもそも意味を為しません。今日の法的有効性の話と、歴史的事実の話を何で混同できるのか、理解に苦しみます。 なお、平安遷都令は、とっくの昔に本文が散逸しています。いつの時代まで本文が伝わっていたのかは知りませんが、遅くとも、散逸した時点で成文法としての効力はなくなっています。ただし、平安遷都令に基づいて天皇が居所を移し、1000年以上そこにいたわけですから、﹁京都が首都﹂という事実は、慣習法ではありました。東京が首都になったのは、天皇と太政官が東京に移ったときからと考えています。なお、﹁日本の伝統的なルールとして、天皇陛下が御座される場所が都でした。﹂とおっしゃっていますが、まず、日本国憲法の成立で天皇主権から国民主権の世に変わりましたので、天皇の重要性は低下しています。むしろ、国権の最高機関である国会の所在地の方が重要というのは私見です。また、﹁御座される場所﹂が都というのは定説なのでしょうか?﹁居所﹂ではなくて?居所なら東京です。それに日本は法治国家ですので、﹁伝統的なルール﹂よりは成文法が優先されます。日本の成文法では東京が首都とされています。先に﹁東京を首都と仮定して書いている法がたくさんある﹂と書いておられますが、現行の日本の法律に﹁仮定﹂はありません。 --ぬこ1号 2007年9月9日 (日) 03:23 (UTC) 江戸時代以前の権利・法・命令は、近代法で否定・上書きされない限り、慣習法として生きていると考えるべきです。京都が首都であったことが否定されていないので、慣習法で生きていると考えるべきでしょう。︵大正時代に初めて東京が首都とみなした法が出てくるので、その時点で京都首都が否定されたとと考えることもできるでしょうが︶。首都圏整備法や首都建設法を、京都が首都だけれども東京も︵東京とその周辺も︶首都として建設整備しましょうと考えても矛盾になりません。ちなみに、天皇陛下の所在を示すものは高御座です。--Haguii 2007年9月9日 (日) 08:37 (UTC) 参考資料にあげられている文章の一読をお勧めします。平安遷都令と称される詔の断片と江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書︵東京遷都の詔、東京奠都の詔︶は、よく似ていますねぇ。後者が東京を首都としたものではないとすると、前者も平安京を首都としたものではないことになってしまうかもしれません。しかし、平安京、京都が794年︵延暦13年︶に首都とされたことは、日本人なら否定する人などいないでしょう。とすれば、同じような内容の詔が発せられて、東京が首都となったことも否定し難いところでしょう。現に、大多数の日本人は、東京が明治初年に首都とされたことを否定しません。したがって、東京が首都であることを示す法令上の初出は、明治初年に発せられた江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書であると見るのが常識的な見解です。 なお、関東大震災直後ノ詔書は、初めて﹁首都﹂という語が法令上に現れたという意味では重要ですが、これが東京を首都とした法令であると見るのはナンセンスです。﹁首都﹂という語がなければ首都でないならば、平安遷都令その他の法令にも﹁首都﹂という語がない以上、このときまで日本には首都がなかったということになってしまいます。 次に、高御座が京都御所に蔵置されていることについては、誰もが否定し得ない事実でしょう。しかし、その事実が日本の首都といかに関連付けられるかについては、京都が首都であるという主張に関連することです。したがって、この事実だけを﹁日本の首都﹂の記事にポッと書かれても意味がありません。必要ならば京都が首都であるという主張と共に、出典を付して記載すべきです。 いずれにせよ、ここは﹁京都は首都であるか否か﹂とか﹁東京は首都であるか否か﹂などということを議論する場ではありません。出典があるならば﹁京都は首都である﹂という主張や﹁高御座のある場所が首都である﹂などという主張を記載するのも良いでしょう。しかし、﹁東京は首都ではない﹂などと荒唐無稽なことを記載するのはおやめになった方がよいと思います。--新芽 2007年9月13日 (木) 19:36 (UTC) 東京が首都というのは単純な問題ではないと考えています。別に東京が首都ではないと否定しているわけではありません。出典については、ノートでsieさんが書かれています。天皇陛下が所在される場所を首都の条件のひとつとするならば、その場所は、現在の皇居と京都御所とを挙げる必要があります。両論併記がwikiの原則です。不都合な事実を削除する態度はよくありません。ちなみに、私は﹁高御座のある場所が首都である﹂なんて書いていませんよ。--Haguii 2007年9月14日 (金) 11:24 (UTC)
何度、同じことを言ってもわからない人がいますが、現行の日本の法令で﹁首都﹂と記載してある場合、すべて東京都を指しています。東京と京都の複都制と解する余地はまったくありません。岡部説については、天皇大権下の時代で、かつ東京遷都から50年しかたっていない時の話です。現在は国民主権で、かつ東京遷都から140年経過しており、事情が全く異なります。梅棹忠夫氏にいたっては、京都人の心情論を述べただけです。梅棹氏には﹁大阪弁第2標準語論﹂もあるそうですが、それを以って大阪弁を﹁標準語﹂と強弁できるでしょうか? なお、国土交通省のサイトでも東京都を日本の首都としていますので、ご参考まで。各国の首都 --ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 05:39 (UTC) 完全に誤解されているようです。東京首都の結論ありきで、理由を書いていくのは可笑しいですよね。日本の首都としてどういう条件が必要か、そして、その条件に合致する都市はどこか。そして総合判断して首都はどの都市か。とすべきです。首都の条件とそれに合致する都市を思うまま書くと ①政治の中心→東京、②経済の中心→東京、③文化の中心→?︵現在の文化の発信基地と考えれば東京だが日本伝統文化の中心と考えれば京都と思う︶、④天皇陛下の常在される場所→東京、⑤天皇陛下の正式な所在地→京都、⑥遷都の詔→京都、⑦奠都の詔→東京︵京都が都であることを廃したわけではない︶⑦地名に京がある→東京、京都 などでしょうか。カッコ内は私の主観なので無視されても結構です。﹁高御座のある場所が首都である﹂と書いていないが、首都の条件の一つであるとは考えます。ところで明治維新の時代の人は、首都をどことして考えていたのでしょうか?--Haguii 2007年9月15日 (土) 13:35 (UTC) 日本は法治国家です。日本の法律の文面では東京都が首都であり、それ以外はあり得ません。京都が都であることは、事実ベース︵慣習法︶で廃されています。一部の京都人が﹁明文で廃していない﹂といくら騒いだところで、明治維新から140年も経過しており、東京は慣習法でも成文法でも首都になっています。今の京都は首都の要件を何ひとつ満たしていません。過去に千年都だったから、新しい慣習法が定着するには、また千年かかるとでも? >>東京首都の結論ありき 当たり前ではないですか。まず、法律がそのようになっていますし、天皇は生まれたときから住んでいますし、政治・経済の中心であること、人口が最多であることなど、すべての要件を満たしています。 それより、gooの書き込みを含め、まず﹁京都首都の結論ありき﹂なのはどなたでしょうか?何度も書いていますが、現行の日本の法律は東京を首都としています。京都はまったく埒外です。それについて屁理屈で反論するのはやめていただきたい。ここは個人の意見を表明する場ではありません。そもそも法律の素養がない方なのですから、語る資格はありません。どうしても語りたければ、信頼できる外部ソースを持ってきていただきたい。 明治維新の頃の人がどこを首都と考えていたかについて、私なりの推測はありますが、ここでは控えます。それに、その頃の人がどこを首都と考えていたところで、今、東京︵のみ︶が首都であることに何の影響もありません。 --ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 15:29 (UTC) 追伸 外務省の日本情報ポータルサイト Japan Fact Sheet 外部リンクも、﹁東京は日本の首都です。﹂﹁京都は794 年から1868 年まで日本の都であり、御所もここにありました。﹂と明記し、日本語、英語、中国語、フランス語、スペイン語、韓国語で世界に発信しています︵﹁基本情報﹂の﹁日本の各地方﹂および、各国語版の相当する段落をご参照ください︶。 --ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 16:17 (UTC) また、本文に﹁ただし、天皇の在所を示す高御座は、京都御所にある。﹂と書き込みましたね。高御座所在地首都説の外部ソースを示していただけると思うので、消さずに様子を見ています。示せなければ消します。--ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 16:34 (UTC) 天皇陛下の常在されている場所を理由にして、正式な所在地を考慮に入れないという理由がない。ぬこ1号さんの考えでは﹁法によって東京が首都である﹂ですね。それだったら、政治経済の中心や天皇陛下が常在されているという根拠は不要どころか間違いと言えるかも知れませんよ。ところで、法は定められてから過去に遡って判断することが可能であるなんていう知識を私は持ち合わせていませんでした。--Haguii 2007年9月15日 (土) 16:39 (UTC) そもそも﹁高御座のあるところが天皇の正式な所在﹂というのが、ひとつの説に過ぎないではありませんか。それとも皇室史上の常識なのでしょうか。仮に京都市が天皇の正式な所在だとして、法律に明記されたことを飛び越えて、京都市が首都になるのですか?外部ソースをお示しください。また、﹁法は定められてから過去に遡って判断することが可能である﹂なんて誰が書きましたか?原則として法律は過去に遡及しません。ただし、後法優先の原則はあります。現在の法律が東京を首都としているのですから、平安遷都令その他の京都を首都とする法は上書きされます。それより、あなたの個人的意見はどうでもいいです。当方は、総務省の﹁法令データ提供システム﹂、国土交通省サイトの記述、外務省のJapan Fact Sheetといった外部ソースを示しています。それらを一蹴できるような外部ソースを示せないのでしたら、去ってください。 --ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 16:56 (UTC) だから、﹁高御座のある場所が首都である﹂と書いていないじゃないですか。ただ、首都の条件の一つであるとは考えています。日本史で都といえば天皇陛下の所在する場所ですし、天皇陛下の所在する場所ち言えば、皇居もしくは高御座ですよ。両論併記でいいと思いますが・・・。初めて法で東京を示す言葉を首都として用いたのは大正時代ですよ。実際に東京を首都とした言葉を用い始めたのが、その1年前からか100年前からか1000年前からかは解らないですよ。首都の定義に政治経済の中心も天皇陛下も関係ないというなら、すっきりするんですがね。--Haguii 2007年9月15日 (土) 17:22 (UTC)
ここはあなたの個人的な考えを書く場ではありません。ガイドラインから一部引用します。 ︵以下引用︶ ﹁独自研究(original research)﹂とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。 ウィキペディアは独自研究を発表する場ではありません。情報源を明記することと独自研究を避けることは、密接にかかわり合っています。独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を出典として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。 ︵引用終わり︶ ﹁高御座の所在地は首都の一条件﹂という外部ソースがあるのでしたらお示しいただいたうえで、本文には、その説をわかりやすく記載してくださるようお願いします。 --ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 18:27 (UTC) 皇居や政治経済の中心がが首都の条件であることのソースをお願いします。 質問ですが、東京を首都として書かれた法律がなかった時代の首都はどこでしょう。その理由は?--Haguii 2007年9月15日 (土) 19:24 (UTC) >>私に対する個人的な推測 具体的にどの部分かご説明ください。 >>皇居や政治経済の中心がが首都の条件であることのソースをお願いします。 すでに国土交通省のサイトを挙げてあります。また、新明解国語辞典第5版︵三省堂︶には、﹁その国の中央政府の所在地。︹普通、元首がそこに居住する︺ 首府。キャピタル。﹂と端的に定義されています。 >>東京を首都として書かれた法律がなかった時代の首都はどこでしょう。 近代的な法治国家になる前の首都がどこであろうと、現在、東京都が日本の首都である事実に関わりはありません。何のためのご質問でしょうか?ここは﹁教えて!goo﹂ではありません。--ぬこ1号 2007年9月15日 (土) 19:38 (UTC) まず、国語辞典に書かれている﹁普通﹂、これが日本に適用できる根拠がない。 また、明治時代には東京を首都として書かれた法律がないと認識しています。--Haguii 2007年9月15日 (土) 22:45 (UTC) 最初の段落は何をおっしゃっているのか、よくわからないのですが、ソースを示せない個人的意見︵ばかり︶を書いてよいというのは、ガイドラインにありますか?また、﹁私が過去書いたことに対し書いたことで、あれこれ推測﹂とはどの部分か具体的にお示しください。 国語辞典については、現在の日本の首都についてのみ書いてあるのではなく、海外の首都、あるいは歴史上の首都を含めた﹁首都﹂という語についての一般的な定義です。法律論ではありません︵こんなことまで説明しないといけないのでしょうか︶。 そもそも、平成19年現在の日本では﹁法律に首都と書いてあれば東京を指している﹂という事実だけで十分です。ただ、実態を伴わない法律の規定は機能しません。ですから、﹁東京﹂が首都であることについては、まず法律を示し、次に、その規定が実質を伴っていることを示すために﹁国会も内閣も最高裁判所も東京にある﹂、﹁人口最多﹂、﹁経済の中心﹂、﹁明治維新以来、天皇がいる﹂といった実態をあげています。これらは補強材料ですから、﹁どれかひとつでも欠ければ首都ではない﹂とか、﹁どれかひとつでも持っていれば他の都市も首都だ﹂ということにはなりません。 法の建前と実態がかけ離れた首都の例ですと、ご存知とは思いますが、台湾︵中華民国︶があります。公式の首都は南京でしたが、台湾の支配下にありませんし、将来、奪還できる見込みもありません。一般には台北が首都として扱われてきましたし、近年は政府も教科書の記述を改めています。 ここで﹁高御座﹂の話になりますが、haguiiさんの立場は当初の﹁平安遷都令が今でも有効﹂から﹁高御座が京都市にある﹂に移っているようです。haguiiさんは途中から議論に参加されたので、過去の経緯はご存知ないかも知れませんが、1~2年前の本文は、﹁高御座の所在地が天皇の所在であり、天皇の所在が首都だから、京都が首都である﹂というトーンで書かれていました。これはあんまりなので、多くの人が修正し、今の形に近いものになりました。それでも、﹁高御座があるので、京都が首都であるという説もある﹂という趣旨の記述が残っていました。そこで、俊平太郎さんが問題提起され、誰も信頼できる外部ソースをあげなかったので最終的に削除されたのです。 ここで、haguiiさんが再び﹁高御座﹂を持ち出したことは、原点に回帰したことになります。﹁高御座の所在地は首都の条件のひとつ﹂ということを外部ソースで立証できるのでしたら、私も本文に書くことに反対はしません。ですからお願いをしています。﹁高御座がなければ首都ではない﹂とか﹁高御座さえあれば、他の条件を欠いていても首都である﹂といった主張をされているわけではないと思いますが、それにしても﹁高御座の所在地は首都の条件﹂という説は、よそでは見たことがないのです。 なお、明治時代の首都がどうとか、平安時代の首都がどうとかいうことを何度か書かれていますが、ここでは現在の首都の話をしていますので、関係ないでしょう。過去の首都は本文の﹁日本の歴代首都一覧﹂に示してありますし、そこを修正する議論はしていません。 --ぬこ1号 2007年9月16日 (日) 04:08 (UTC) 大体了解しました。 本文では東京を首都とする根拠の部分と、補強材料をごっちゃに書いているのが問題だと思います。 仮定の話で申し訳ないですが、東京の首都機能をすべて移転し皇居も京都御所に移しても、法律を変えなければ首都は東京である、でいいですね。 ソースというより定義に近いのですが、広辞苑で﹁高御座﹂は﹁玉座﹂、﹁玉座﹂は﹁御座所﹂、﹁御座所﹂は﹁居室・居所﹂です。︵大分省略して書いていますが︶つまり天皇陛下の所在地は東京であり京都であるということです。首都の条件に高御座を入れないなら、皇居も外すべきでしょうね。 次に歴代首都一覧の部分に話を移しますが、法では、明治時代には東京を首都とする法律はないはず。また現代の法が東京首都としているとしても、それに基づいて過去に遡及もできません。明治時代を東京首都とするのは正しくない可能性があります。
ご希望の個人的判断に係る部分は削除しました。 Haguiiさんの仮定のご質問ですが、﹁法律を変えなければ首都は東京である﹂のは、そのとおりです。ただし、この場合、法律の規定と実態とが合わなくなります。﹁これでいいのか?﹂という国民の声は上がるでしょう。天皇の引越先と、国会・中央官庁の引越先と、どちらが首都になるのかという問題も発生しますし、民主的手続により法的な解決が図られるとは思います。 私は現在の法的状況について、﹁法令データ提供システム﹂等を利用して発言しており、、明治時代の状況について知識は持ち合わせません。 ただし、東京遷都︵奠都︶に議論があることは承知しています。これも国土交通省のサイトですが、京都大学の佐々木克教授がまとめておられますので、ご参考に供します。首都機能移転問題と﹁東京遷都﹂ 本文における京都の取り扱いですが、今日、法的には﹁首都﹂といえないにせよ、1917年の岡部説があること、梅棹忠夫氏をはじめとする京都人の心情論があること、また、その心情に対して配慮する旨、平成4年に時の宮沢首相が答弁している事実については、コンセンサスができています。それらの事実について紹介することは、ウィキペディアの趣旨に反するものではないと思います。また、高御座と首都との関係についても、外部ソースで検証できれば、書いてもいいのではないでしょうか。 なお、例によって﹁高御座﹂を法令データ提供システムで検索したところ、2件ヒットしました。﹁帝国憲法発布記念章制定ノ件﹂および︵昭和天皇即位の︶﹁大礼記念章制定ノ件﹂という戦前の勅令です。いずれもメダルのデザインに﹁高御座﹂を用いることが定められています。なぜ、これらの勅令が今日でも有効かというと﹁記念章ハ︵中略︶子孫ヲシテ之ヲ保存セシム﹂という規定があるからです。記念章のデザインになるくらいですから、戦前は﹁高御座﹂に何らかの法的な権威を与えた法律もあったのかも知れませんが、現在は確認できませんでした。 --ぬこ1号 2007年9月16日 (日) 10:25 (UTC) 複都制を書いていて思ったのですが、京都が首都だとする説は言い替えれば都=首都とする説ではないでしょうか。ここでも当然のように﹁歴史上、日本の首都は、天皇の住まいである皇居の所在によって定められた。﹂と書かれていますが、首都︵Capital︶というのは西洋的・近現代的なものですから、日本で歴史的に定められたのは都︵京︶であって首都ではありませんでした。一見、都=首都は自明のようですが、制度的には日本では未だに首都が定められていないことが京都首都論の要因だと思います。平安時代の京都が首都だということや現在においても京都が都・京︵みやこ︶であることは明確でも、個人的には江戸時代や現代の京都が首都だということにはやや抵抗があります。つまり天皇の宮があれば首都だと言い得るならば現在の京都も首都と言い得るでしょうが、日本では正式には首都の定義はなされていないわけです。--Ganman 2007年9月23日 (日) 12:50 (UTC) 話の整理のために日本の首都#多様な首都の認識の節を出典も合わせて作ってみたので参考にどうぞ。--Ganman 2007年10月18日 (木) 14:40 (UTC)
参考資料
「首」の問題
思いますに「首」に関わる表現の問題と首都の問題は関係があるのではないでしょうか。たとえば日本の「元首」は法的に明らかではありません。さらに法令データ提供システムによれば、面白い事に「首相」では1件もヒットしないんですね。我々は内閣総理大臣を慣例で「首相」と呼んでいるのであって法的に日本には首相はいないようです。--125.205.188.24 2007年11月2日 (金) 17:06 (UTC)
近江大津京
表では「近江大津京」という表記がされていますが、学術的にとらえて「近江大津宮」と表記すべきではありませんか? 改訂したいのですが、何か意図があって「京」表記になっているのでしょうか? --Nag 2009年1月6日 (火) 02:36 (UTC)
2009年4月2日(木)14:40版について
主都を首都と記述していた例
いくらでもあるので一例だけですが戦前「金澤市ハ裏日本運輸交通ノ要路ニ當リ・・・裏日本ニ於ケル首都ナルノミナラス・・」金澤市ニ鉄道局設置ニ関スル建議案(官報号外昭和2年3月26日衆議院議事速記録第32号)戦後「五大都市をもつて、その所屬府縣の首都となす」1衆治安及び地方制度委員会8号昭和22年08月07日 「長崎縣の五島列島は九州の西南に位いたしまする離島であります。その首都でありまするところの福江港」1衆国土計画委員会9号昭和22年08月22日「わが高鍋町は由來兒湯郡の首都として、郡の中央に位し」1衆司法委員会56号昭和22年11月14日・・以上は国会議事録検索[2]から。アジ歴検索だと「オムスク方面より新疆省首都迪化に到着したが同省暴動の状況に鑑み・・」陸発表情報(甲)第111号陸軍省新聞班(レファレンスコード A03023794300 で検索可能)など--118.18.233.172 2010年5月18日 (火) 07:56 (UTC)