「プログラマ」を編集中
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1960年代には、行政手続の際職業欄にプログラマと記述し窓口に拒絶された話が残っている。この頃は、1952年に商用コンピュータをIBMが発売して幾分経過したとは言え、多くのプログラマは国防関係の機関所属であったり、学術研究機関所属である場合が多く、社会的にプログラマとして認知されていたわけではなかった。プログラミング言語の登場とコンピュータの高度化により、プログラミング処理の幅が広がってくるに従い商業利用へ拡大していくと、さまざまな企業ニーズに合わせプログラマとしての企業雇用が増えてくる。また、IBMの701シリーズから[[オペレーティングシステム]]︵OS︶が本格的に普及し始めた事により、﹁ハードウェア﹂・﹁ハードウェアを操作するOS﹂・﹁OS上で稼動するソフトウェア﹂の分立が始まる。これらにより、プログラマは機械従属的な操作や基盤部分開発から徐々に解放され、より創造的なソフトウェア構築にシフトして行くことになる。
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1960年代には、行政手続の際職業欄にプログラマと記述し窓口に拒絶された話が残っている。この頃は、1952年に商用コンピュータをIBMが発売して幾分経過したとは言え、多くのプログラマは国防関係の機関所属であったり、学術研究機関所属である場合が多く、社会的にプログラマとして認知されていたわけではなかった。プログラミング言語の登場とコンピュータの高度化により、プログラミング処理の幅が広がってくるに従い商業利用へ拡大していくと、さまざまな企業ニーズに合わせプログラマとしての企業雇用が増えてくる。また、IBMの701シリーズから[[オペレーティングシステム]]︵OS︶が本格的に普及し始めた事により、﹁ハードウェア﹂・﹁ハードウェアを操作するOS﹂・﹁OS上で稼動するソフトウェア﹂の分立が始まる。これらにより、プログラマは機械従属的な操作や基盤部分開発から徐々に解放され、より創造的なソフトウェア構築にシフトして行くことになる。
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1970年代に入ると、[[パーソナルコンピュータ]]が登場するようになり、それに伴い、[[パッケージソフトウェア]]の開発が盛んになってくる。また、コンピュータ処理能力も増大し、商用利用以外にも、ゲームなどの娯楽部門にも転用されるようになってくる。コンピュータの多分野進出すると、それに伴い徐々に社会的に職業としても認知されるようになってくる。これらの結果、1970年代後半に入ると様々な需要に即したプログラミング言語・OS・コンピュータメーカの乱立が始まり、一種の戦国時代とも言える状況が出現すると、増大する需要にともないプログラマの深刻な不足が問題化した。この頃の主要プログラミング言語は[[アセンブラ]]・COBOL・Fortran・BASICそして1973年に登場した |
1970年代に入ると、[[パーソナルコンピュータ]]が登場するようになり、それに伴い、[[パッケージソフトウェア]]の開発が盛んになってくる。また、コンピュータ処理能力も増大し、商用利用以外にも、ゲームなどの娯楽部門にも転用されるようになってくる。コンピュータの多分野進出すると、それに伴い徐々に社会的に職業としても認知されるようになってくる。これらの結果、1970年代後半に入ると様々な需要に即したプログラミング言語・OS・コンピュータメーカの乱立が始まり、一種の戦国時代とも言える状況が出現すると、増大する需要にともないプログラマの深刻な不足が問題化した。この頃の主要プログラミング言語は[[アセンブラ]]・COBOL・Fortran・BASICそして1973年に登場した |
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=== 1980年、1990年代 === |
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1980年代に入るとパーソナルコンピュータの爆発的普及が始まり、プログラマの中には自らのアイデアを商品化し巨万の富を得るものが出てくる。それに伴い、ソフトウェア産業という区分が発生し、企業単位でプログラム開発に業務特化したものが続々と登場してくるようになる。この頃をさして(プログラマの)黎明期と呼ばれ、無数のパソコンメーカ、ソフトウェアハウス、膨大な数のソフトウェアが開発されるようになり、さらに熾烈な競争時代へと突入していく。 |
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1990年代に突入すると、あらゆる分野にコンピュータが進出するようになる。また、プログラマである[[ビル・ゲイツ]]が1993年にフォーブス誌の世界長者番付一位となるとプログラマという職業が完全に社会的認知を受けるようになってくる。それまで、商用ソフトウェアを一人のプログラマが設計していた事例も見受けられていたが、ソフトウェア開発の巨大化に伴い、一人もしくは少数のプログラマによる開発が難しくなり、より大人数、組織化した開発プロジェクトが標準化してくるようになる。それに伴い、それまでプログラマの役割も分科されるようになり、ソースコードを記述するプログラマと、その設計および指示を行う[[システムエンジニア]]に分かれてくるようになる。
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また、それまで属人的に行われていた︵いわゆる脳内での思考︶設計も、書類化するようになり、仕様書による分担作業とプログラマの仕事は変質していく。これらは、より大規模な軍需産業などであれば1970年代から見られた状況だが、ほぼ職業プログラマ全域に広まるのはこの頃である。その為、プログラマの上位概念あるいは、分立職業者としてシステムエンジニアを重視する風潮が生まれた。なお、この頃ビルゲイツが﹁自分はシステムエンジニアではなく、プログラマである﹂と発言している。
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ほぼ同時期に、ネットワーク技術向上に伴い、[[パソコン通信]]あるいは[[インターネット]]が登場してくるようになると、これまでと違った個人活動的プログラマが登場してくるようになる。個人でプログラムを行い、それらをネットワークを使って有償もしくは無料にて配布するシェアウェアプログラマあるいはフリープログラマである。 |
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=== 2000年代 === |
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1990年代末以降、パソコン分野での競争が一段落し、パソコン業界でのOSはWindowsが主流に、プログラミング言語はC言語の派生言語︵主なものはC、[[Java]]、[[C++]]、[[C#]]、[[Objective-C]]︶が主流となった。反面、[[サーバ]]、[[リッチインターネットアプリケーション|リッチクライアント]]、[[組み込みシステム]]などデスクトップコンピュータ以外の市場が著しく拡大し、開発環境は多様化している面もある。[[ネットワーク・コンピューティング|ネットワーキング・コンピューティング]]、[[クラウドコンピューティング]]分野の新たな需要にこたえる形で、[[オープンソース]]系UNIXやサーバサイドプログラミングが広がり、[[JavaScript]]、[[Ruby_(代表的なトピック)|Ruby]]などの簡易な[[スクリプト言語]]が普及した。高機能な[[組み込みオペレーティングシステム]]を搭載した[[携帯電話]]などの[[組み込みシステム]]の出現により、組み込み分野でも[[オブジェクト指向]]など大規模な汎用システムで培われた開発手法が広く使われるようになった。
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また、プログラムはさらに巨大複雑化し、必要な知識も個人ですべて把握するのは不可能な量となった。そのため、プログラマはより狭く深い部分に特化する事例が多い。これら複合要因により、同じプログラマと言ってもある部分だけは詳しいが他の分野は把握していない事も多く、システムの全体を把握しようにも、もはや人間の記憶限界を超えた分量であるため事実上不可能である。
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コンピュータはあらゆる生活の基盤に無くてはならないものとなったために、プログラマに課せられた社会的責任は増大しつつある。プログラムの流通を安全なものとするために、[[電子署名]]、[[サンドボックス (セキュリティ)|サンドボックス]]、ソフトウェア配信サービスなどのシステムが整備されている。
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== プログラマに対する呼称 == |
== プログラマに対する呼称 == |