九鬼隆都
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九鬼 隆都︵くき たかひろ、享和元年︵1801年︶ - 明治15年︵1882年︶1月25日︶は、丹波綾部藩の第9代藩主。第7代藩主・九鬼隆郷の子。正室は鳥居忠寿の娘。官位は従五位下、出雲守、河内守。
文政5年︵1822年︶閏1月24日、先代藩主で兄の九鬼隆度が隠居したため、その養嗣子となって跡を継いだ。藩主としては有能で、佐藤信淵や奥山弘平らを招聘して農業政策を中心とした藩政改革に取り組み、さらに山鹿素水を招いて軍事の改革も行なった。弘化4年︵1847年︶には木綿会所を創設して専売制を実施し、藩財政をいくらかは再建することに成功した。この藩政における手腕は幕府にも高く評価され、安政2年︵1855年︶には講武所総裁に任じられた。
文久元年︵1861年︶6月10日、子の九鬼隆備に家督を譲って隠居し、明治15年︵1882年︶に82歳で死去した。