「冬の日」の版間の差分
放課後ティータイムの楽曲について曖昧さ回避 |
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'''冬の日'''︵'''ふゆのひ'''︶は、[[俳諧]]の撰集。[[山本荷兮]]編。[[1684年]]︵[[貞享]]元年︶刊。[[俳諧七部集]]の一つ。
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'''冬の日'''︵'''ふゆのひ'''︶は、[[俳諧]]の撰集。[[山本荷兮]]編。[[貞享]]元年︵[[1684年]]︶刊。﹃尾張五歌仙﹄ともよばれる。[[俳諧七部集]]の一つ。貞享元年11月、[[尾張国]][[名古屋]]で、[[松尾芭蕉]]のほか、荷兮、[[岡田野水]]、[[加藤重五]]、[[坪井杜国]]、正平による歌仙5巻と追加の表6句をおさめる。芭蕉一門の新風を代表するものとされる。
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全巻を通して風狂の相を基調としており、前年の﹃[[虚栗]]﹄に見られた異体破調からの脱却を図り、安らかな句体へと移行しつつある{{Sfnp|佐藤勝明|2011|p=102}}。後年の俳人によって[[蕉風俳諧|蕉風]]開眼の書と位置づけられ、俳諧七部集の第一集に選定された{{Sfnp|佐藤勝明|2011|p=102}}。
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[[梶井基次郎]]は芭蕉を敬慕しており、本句集名を採って『[[冬の日 (小説)|冬の日]]』を著した{{Sfnp|黒田征|1975|p=23}}{{Sfnp|遠藤誠治|1978|pp=25-30}}。その表現は「芭蕉精神の近代的表現」と評される{{Sfnp|遠藤誠治|1978|p=32}}。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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*{{Cite journal|和書|author=黒田征|title=梶井基次郎の「冬の日」論|journal=帯広大谷短期大学紀要|volume=12|pages=23-34|publisher=[[帯広大谷短期大学]]|date=1975-03|url=https://doi.org/10.20682/oojc.12.0_23|ref=harv}} |
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*{{Cite journal|和書|author=遠藤誠治|title=梶井基次郎における芭蕉受容:「冬の日」を中心に|journal=連歌俳諧研究|issue=55|pages=22-32|publisher=[[俳文学会]]|date=1978-07|url=https://doi.org/10.11180/haibun1951.1978.55_22|ref=harv}} |
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*{{Cite book|和書|author=[[岡本勝]]|author2=[[雲英末雄]]|title=近世文学研究事典|edition=新版|date=2006-02|publisher=[[おうふう]]|isbn=4273033844|ref=harv}} |
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*{{Cite book|和書|editor=[[佐藤勝明]]|title=21世紀日本文学ガイドブック5:松尾芭蕉|date=2011-10|publisher=[[ひつじ書房]]|isbn=9784894765122|ref=harv}} |
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== 関連項目 == |
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* [[俳諧七部集]] |
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* [[蕉風俳諧]] |
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* [[連句アニメーション「冬の日」]] |
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2023年12月4日 (月) 15:45時点における最新版
概要[編集]
1684年︵貞享元年︶11月、尾張国名古屋において、﹃野ざらし紀行﹄の旅行中の松尾芭蕉と尾張国の連衆︵荷兮、岡田野水、加藤重五、坪井杜国、正平︶によって興行された六吟歌仙五巻、および追加六句を収める[1]。荷兮を除いた連衆は素人同然であったとされる[1]。編者は荷兮だが、芭蕉の指導力は相当強かったと推測されている[1]。 全巻を通して風狂の相を基調としており、前年の﹃虚栗﹄に見られた異体破調からの脱却を図り、安らかな句体へと移行しつつある[2]。後年の俳人によって蕉風開眼の書と位置づけられ、俳諧七部集の第一集に選定された[2]。 梶井基次郎は芭蕉を敬慕しており、本句集名を採って﹃冬の日﹄を著した[3][4]。その表現は﹁芭蕉精神の近代的表現﹂と評される[5]。脚注[編集]
- ^ a b c 岡本勝 & 雲英末雄 (2006), pp. 314–315.
- ^ a b 佐藤勝明 (2011), p. 102.
- ^ 黒田征 (1975), p. 23.
- ^ 遠藤誠治 (1978), pp. 25–30.
- ^ 遠藤誠治 (1978), p. 32.