劉封
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劉封︵りゅうほう、?-220年︶は、中国の三国時代、蜀の武将。
もとは羅侯の寇氏の一族であったが、劉備が彼を一目見て大いに気に入り、自分の養子として迎えたと言われている。このとき、名を寇封から劉封に改めた。
武勇に優れ、知略にも長けた人物であったと言われている。劉備の晩年の主要な合戦の大半に参加して武功を挙げた。そして劉備が漢中を平定すると、孟達と共に上庸の守備を命じられた。しかし、関羽を見殺しにしたことから孟達と対立し、孟達は魏に出奔してしまったうえ、配下の武将であった申儀が上庸で反乱を起こして劉封を追放してしまったため、劉封はやむなく劉備のもとへ敗走することとなった。
しかし、劉備は関羽を見殺しにしたこと、上庸を失ったことなどを咎めて、劉封を処刑してしまった。近年では、劉備の死後に蜀の実権を握ろうとしていた諸葛亮が、劉禅ならばともかく劉封では統率することが困難と考えたため、劉備に讒言して殺させたのだとも言われている。