「古橋義真」の版間の差分
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家は代々、酒造業を営んだ。父の暉児は、25歳で家をついで名主になり、[[明治維新]]に際しては[[三河県]]に出仕した。のち辞して子の義真とともに産業教化に尽くした。義真は父のあとをついで名主になり、明治3年︵1870年︶、近郷の8箇村の取締となり、のち[[東加茂郡]]4箇村の取締を兼ねた。
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家は代々、酒造業を営んだ。父の暉児は、25歳で家をついで名主になり、[[明治維新]]に際しては[[三河県 (日本)|三河県]]に出仕した。のち辞して子の義真とともに産業教化に尽くした。義真は父のあとをついで名主になり、明治3年︵1870年︶、近郷の8箇村の取締となり、のち[[東加茂郡]]4箇村の取締を兼ねた。
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明治7年︵1874年︶、第13大区副区長となり、明治11年︵1878年︶、北設楽郡長、東加茂郡長をつとめ、地元産業の開発、社会教化につとめた。明治22年︵1889年︶には稲橋村の村長となった。
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明治7年︵1874年︶、第13大区副区長となり、明治11年︵1878年︶、北設楽郡長、東加茂郡長をつとめ、地元産業の開発、社会教化につとめた。明治22年︵1889年︶には稲橋村の村長となった。
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2011年8月6日 (土) 15:27時点における版
古橋 義真︵ふるはし よしざね、嘉永3年11月28日︵1850年12月31日︶ - 明治42年︵1909年︶11月13日︶は、日本の農業功労者、愛知県北設楽郡稲橋村の村長である。