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'''叺'''︵かます︶は、[[袋]]の一種。﹁かます﹂は蒲簀の意。藁蓆︵わらむしろ︶を二つ折りにし、相対する2縁を縄で縫い閉じて、輪を底部とし、袋状とする。[[肥料]]、[[石炭]]、[[塩]]、[[穀物]]などを入れる。﹁叺﹂は[[国字]]である。
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'''叺'''︵かます︶は、[[袋]]の一種。﹁かます﹂は[[蒲簀]]の意。[[藁蓆]]︵わらむしろ︶を二つ折りにし、相対する2縁を縄で縫い閉じて、輪を底部とし、袋状とする。[[肥料]]、[[石炭]]、[[塩]]、[[穀物]]などを入れる。﹁叺﹂は[[国字]]である。
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古くは『[[日本書紀]]』孝徳紀大化5年3月の条に見える。[[江戸時代]]、関西で[[綿花]]などの商品作物が盛んに栽培されるようになると、[[金肥]](貨幣で購入する肥料)を使い商品作物の大規模生産が行われるようになった。この金肥は、[[蝦夷地]]([[北海道]])で大量に獲れる[[鰯]]、[[鰊]]などから[[魚油]]を採った残りかすを原料として、叺に入れ[[北前船]]などで大消費地に運ばれた。[[司馬遼太郎]]の小説『菜の花の沖』では、江戸時代後期の商人・[[高田屋嘉兵衛]]が北前航路の往路で[[ムシロ]]を買い、関西へ持ち帰る金肥としての、[[干鰯]]、[[鰊粕]]を現地生産して叺に袋詰めする様子が描写されている。 |
古くは『[[日本書紀]]』孝徳紀大化5年3月の条に見える。[[江戸時代]]、関西で[[綿花]]などの商品作物が盛んに栽培されるようになると、[[金肥]](貨幣で購入する肥料)を使い商品作物の大規模生産が行われるようになった。この金肥は、[[蝦夷地]]([[北海道]])で大量に獲れる[[鰯]]、[[鰊]]などから[[魚油]]を採った残りかすを原料として、叺に入れ[[北前船]]などで大消費地に運ばれた。[[司馬遼太郎]]の小説『菜の花の沖』では、江戸時代後期の商人・[[高田屋嘉兵衛]]が北前航路の往路で[[ムシロ]]を買い、関西へ持ち帰る金肥としての、[[干鰯]]、[[鰊粕]]を現地生産して叺に袋詰めする様子が描写されている。 |
2017年6月6日 (火) 19:00時点における版
叺︵かます︶は、袋の一種。﹁かます﹂は蒲簀の意。藁蓆︵わらむしろ︶を二つ折りにし、相対する2縁を縄で縫い閉じて、輪を底部とし、袋状とする。肥料、石炭、塩、穀物などを入れる。﹁叺﹂は国字である。
古くは﹃日本書紀﹄孝徳紀大化5年3月の条に見える。江戸時代、関西で綿花などの商品作物が盛んに栽培されるようになると、金肥︵貨幣で購入する肥料︶を使い商品作物の大規模生産が行われるようになった。この金肥は、蝦夷地︵北海道︶で大量に獲れる鰯、鰊などから魚油を採った残りかすを原料として、叺に入れ北前船などで大消費地に運ばれた。司馬遼太郎の小説﹃菜の花の沖﹄では、江戸時代後期の商人・高田屋嘉兵衛が北前航路の往路でムシロを買い、関西へ持ち帰る金肥としての、干鰯、鰊粕を現地生産して叺に袋詰めする様子が描写されている。
戦後、麻袋が普及するようになると、麻を原料とする二つ折り両端ミシン縫いの袋も﹁叺﹂と呼ばれるようになった。ミシン縫いが可能になると、この形状の麻袋が大量生産されるようになった。また紙封筒なども、同様な形状のものを﹁叺﹂と呼ばれることもある。
なお、魚のイカナゴの別名﹁かますご﹂は、一説に関西では叺にいれて売ったからその名があるという。