叺
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Gamani.jpg/220px-Gamani.jpg)
概要
古くは﹃日本書紀﹄孝徳紀大化5年3月の条に見える。江戸時代、関西で綿花などの商品作物が盛んに栽培されるようになると、金肥︵貨幣で購入する肥料︶を使い商品作物の大規模生産が行われるようになった。この金肥は、蝦夷地︵北海道︶で大量に獲れる鰯、鰊などから魚油を採った残りかすを原料として、叺に入れ北前船などで大消費地に運ばれた。
司馬遼太郎の小説﹃菜の花の沖﹄では、江戸時代後期の商人・高田屋嘉兵衛が北前航路の往路でムシロを買い、関西へ持ち帰る金肥としての、干鰯、鰊粕を現地生産して叺に袋詰めする様子が描写されている。
目が細かいため塩の輸送に最適な容器とされた[1]。
戦後、麻袋が普及するようになると、麻を原料とする二つ折り両端ミシン縫いの袋も﹁叺﹂と呼ばれるようになった。ミシン縫いが可能になると、この形状の麻袋が大量生産されるようになった。また紙封筒なども、同様な形状のものを﹁叺﹂と呼ばれることもある。
なお、魚のイカナゴの別名﹁かますご﹂は、一説に関西では叺にいれて売ったからその名があるという。
東北地方で食べられているかますもちは、形がこの袋に似ていることからそう呼ばれている。[2]
名称
朝鮮語では、「가마니」(カマニ)という。これは日本語から「かます」が借用され、更に東南方言で音韻変化の結果である。
脚注
- ^ a b 後藤重巳. “年貢の輸送と俵装 -藁加工実習に関連して-”. 別府大学博物館 博物館研究報告 No.8(1984.2)p.1-6. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “食の匠 かますもち”. 2022年5月5日閲覧。