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吉野 せい︵よしの せい、1899年4月15日 - 1977年11月4日︶は日本の文筆家。
略歴
●1899年︵明治32年︶4月15日、福島県磐城郡小名浜町︵現・福島県いわき市小名浜︶の三代続いた裕福な網元の娘として生まれる。
●1916年 小学校教師を始める。
●山村暮鳥らの文人と交流をもち、雑誌や新聞に作品を投稿する。
●1921年︵大正10年︶ 詩人吉野義也︵三野混沌‥みのこんとん︶と結婚し、好間︵現・福島県いわき市好間︶の菊竹山︵きくたけやま︶で開墾生活に入る。
●1970年︵昭和45年︶ 三野混沌が亡くなる。
●結婚してからこれまで、ほとんど作品を書いておらず、彼の死後、交流のあったいわき市小川出身の詩人・草野心平に作品を書くように勧められたことを契機に、再び執筆活動を始めることになる。
●1974年︵昭和49年︶ ﹃洟をたらした神﹄を出版。
●1975年︵昭和50年︶76歳にして﹃洟をたらした神﹄が第6回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回田村俊子賞の2つの文学賞を受賞。
●1977年︵昭和52年︶11月4日、尿毒症のためいわき市立総合磐城共立病院で死去、享年78。戒名は永光院文錦清照大姉[1]。
著書
●﹃洟をたらした神 吉野せい作品集﹄弥生書房、1974年︵のち文春文庫、中公文庫︶
●﹃暮鳥と混沌﹄弥生書房、1975年
●﹃道 吉野せい作品集﹄弥生書房、1977年
●﹃吉野せい作品集﹄弥生書房、1994年
●﹃吉野せい展図録 生誕百年記念 私は百姓女﹄いわき市立草野心平記念文学館、1999年
●﹃土に書いた言葉 吉野せいアンソロジー﹄山下多恵子編、未知谷、2009年
その他
いわき市が、吉野せい賞を主宰している。
墓所‥龍雲寺︵福島県いわき市好間町北好間字上野︶
﹃洟をたらした神﹄は作者没後の1978年、監督・神山征二郎、脚本・新藤兼人により東京12チャンネル︵現テレビ東京︶でテレビドラマとして放映される予定だったが、原作に無い原子力発電所の描写を巡って遺族や地元から抗議を受け、一度は﹁原子力ではない発電所﹂に変更することでまとまったが、スポンサーの意向により放映中止となった。その後、地元の要望により地域限定で自主上映映画として公開された[2]。