大久保昇
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大久保 昇︵おおくぼ のぼる、1935年11月30日[1] - ︶は、日本の実業家。京都府京都市出身。日本漢字能力検定協会の創立者。
人物
1958年、同志社大学経済学部卒業後、松下電工株式会社に就職[1]。父の死を機に1970年に実家の新聞販売店を継ぐ。市郊外にビルを建て、のちの協会の母体・株式会社オークを1971年に創業した。貸ビル業を営み、学習塾、文化教室、天然酵母パンなどのテナントを持った。貸ビル業の取り引き先の一つに漢字塾があり、そこに着目。当時は第2次ベビーブームの子の急増期でもあり、﹁教育ビジネスは将来性がある﹂と思い、オークの経営を軌道に乗せ、新たな事業を模索。﹁英検があるなら漢検があってもいい﹂と着想、1975年に塾に勤める元教諭らの勧めで、任意団体の日本漢字能力検定協会を設立。 しかし当初は学校を回っても﹁業者テストはいらない﹂と断られ、初回の受検者は672人にとどまった。1992年に、﹁受検者を増やすには国のお墨付きが必要﹂と考え、当時の文部省に働きかけ、協会を財団法人にする認可を取り付け、大久保は理事長に就任した。面会した同省幹部は、﹁漢字を通じた生涯学習という発想は良く、熱い思いを感じた﹂と同感。漢検は、1992年から正式に文部省の認定資格となる[注 1][2]。1995年には年末恒例の﹁今年の漢字﹂が京都・清水寺で始まる。この﹁今年の漢字﹂で知名度が上がり、さらに漢検を単位認定や入学優遇に使用する高校・短大・大学が増え、2008年度︵平成20年度︶には志願者が289万人にも達した。学校をあげて漢検の受検に取り組む小学校があったり、中学校・高校でも多くの学校が受検を推奨するようになった。ゲームやクイズ番組も誕生し、日本全国に漢字ブームが巻き起こった。 1997年には日本語文章能力検定協会設立し、理事長に就任[1][注 2]。 これらの功績から、1996年に紺綬褒章を受章。また、2006年には瑞宝双光章勲章授与[注 3]。 社会貢献としては、ロータリークラブや日本国際連合協会、京都経済同友会などの要職に就任、各団体へ多額の寄付を行った。 2009年に漢検協会事件が起き、責任を問われた[3][4]。 2014年、瑞宝双光章勲章はく奪。脚注
注釈
出典
(一)^ abc“大久保昇”. アンケート回答 ﹁和ってなんだろう?﹂. 和の学校. 2021年10月28日閲覧。
(二)^ ﹁<連載・公益ビジネス︵上︶>漢検、独善と慢心﹂﹃読売新聞﹄2009年5月20日。2021年10月2日閲覧。
(三)^ “元漢検理事長らの実刑確定へ 架空取引で協会に損害与えた背任罪 - 産経ニュース”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2014年12月11日). 2014年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月2日閲覧。
(四)^ “漢検背任、元理事長らに24億円賠償命令 京都地裁判決: 日本経済新聞”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2017年1月13日). 2021年10月2日閲覧。