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「大森義太郎」の版間の差分

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==経歴==

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[[1928年]](昭和3年)4月、赤化教授への政府の弾圧が徹底的であり、早晩退職を余儀なくされるとして、先手を打つように辞表を提出して辞職<ref>東大の大森義太郎助教授も辞表を提出『東京日日新聞』昭和3年4月18日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p192-193 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。以後は講壇ジャーナリストとして生活することになる。

1933年に『唯物弁証法読本』を出版。



[[1933年]](昭和8年)に『唯物弁証法読本』を出版。

1937年の[[人民戦線事件]]で検挙。1938年に病気のため保釈されたが、失意のうちに[[胃癌]]のため<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)6頁</ref>生涯を閉じた。墓所は[[青山霊園]]。


[[1937年]](昭和12年)の[[人民戦線事件]]で検挙。[[1938年]](昭和13年)に病気のため保釈されたが、失意のうちに[[胃癌]]のため<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)6頁</ref>生涯を閉じた。墓所は[[青山霊園]]。

<!-- 大学助教授から講壇ジャーナリストへの転進については、竹内洋『大学という病』(中央公論新社)に詳しい。 -->

<!-- 大学助教授から講壇ジャーナリストへの転進については、竹内洋『大学という病』(中央公論新社)に詳しい。 -->



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*[[レーニン]]と弁証法的唯物論 レーニン「唯物論と経験批判論」への序論 デボーリン 叢文閣 1927.9

*[[レーニン]]と弁証法的唯物論 レーニン「唯物論と経験批判論」への序論 デボーリン 叢文閣 1927.9

*唯物論と經驗批判論 反動哲学の批判的考察 レーニン [[山川均]]共訳 白揚社 1929 (レーニン全集)

*唯物論と經驗批判論 反動哲学の批判的考察 レーニン [[山川均]]共訳 白揚社 1929 (レーニン全集)

*剰余価値学説史 第2巻 カール・マルクス [[猪俣津南雄]]共訳 改造社 1936

*剰余価値学説史 第2巻第1部(改造社版「マルクス・エンゲルス全集(第9巻))( カール・マルクス 改造社 1936 その後改訳して「新訳」として改造社から刊行、戦後黄土社から刊行



== 脚注 ==

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== 関連項目 ==

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* [[河津暹]] - 東大辞職時の経済学部長。

* [[河津暹]] - 東大辞職時の経済学部長。

* [[唯物史観]]



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著書[編集]

  • 唯物史観 経済学全集 第48巻 改造社 1932
  • 史的唯物論 現代史学大系 第3巻 共立社 1932
  • 『唯物弁證法讀本』中央公論社 1933年4月5日
  • まてりありすむす・みりたんす 中央公論社 1934.8
  • マルクシズムのABC 北斗書院 1946.4

翻訳[編集]

  • 理論経済学概説 エミール・レーデラー 有沢広巳共訳 明善社 1926
  • レーニンと弁証法的唯物論 レーニン「唯物論と経験批判論」への序論 デボーリン 叢文閣 1927.9
  • 唯物論と經驗批判論 反動哲学の批判的考察 レーニン 山川均共訳 白揚社 1929 (レーニン全集)
  • 剰余価値学説史 第2巻第1部(改造社版「マルクス・エンゲルス全集(第9巻))( カール・マルクス) 改造社 1936 その後改訳して「新訳」として改造社から刊行、戦後黄土社から刊行

脚注[編集]

  1. ^ 東大の大森義太郎助教授も辞表を提出『東京日日新聞』昭和3年4月18日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p192-193 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  2. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)6頁

関連項目[編集]