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ReijiYamashina777 (会話 | 投稿記録) イメージ変更 |
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2024年6月4日 (火) 07:36時点における最新版
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智永筆
智永︵ちえい、生没年不詳︶は、中国の南朝陳から隋にかけて活躍した僧・書家。会稽郡山陰県︵現在の浙江省紹興市柯橋区平水鎮︶の出身。本貫は琅邪郡臨沂県。俗姓は王氏︵琅邪王氏︶、名は法極、永禅師と号した。書聖王羲之の五男の王徽之の六世の孫にあたる。
業績[編集]
兄の慧欣︵王孝賓︶と一緒に出家し、南朝陳には山陰の永欣寺︵もとの名は嘉祥寺︶に住していたが、隋になって長安の西明寺に移り住んだ。家伝した王羲之の書法を最も能くし、なおかつその書体を研究し、筆致は円勁にして秀潤、とくに草書に優れた。永欣寺の閣上に30年閉じ籠って﹃真草千字文﹄800余本を臨書し、江東︵長江下流域︶の諸寺にそれぞれ1本を施入したという。智永の﹃真草千字文﹄は、日本に伝わる真蹟本として著名である。文として﹃書︵題︶右軍楽毅論﹄等がある。真草千字文[編集]
真草とは、真書︵しんしょ、楷書︶と草書の2つの書体のこと。 智永の﹃真草千字文﹄には、関中本︵かんちゅうぼん︶と宝墨軒本︵ほうぼくけんぼん︶の2種の刻本のほか、日本に真蹟が1本ある。個人蔵。国宝。関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 『日本と中国の書史』 - (社)日本書作家協会発行 木村卜堂著 - 1971年