「朝河貫一」を編集中
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== トーマス・エドワード・ハリファックス == |
== トーマス・エドワード・ハリファックス == |
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[[File:Thomas Edward Halifax.png|thumb|T.E.ハリファックス]] |
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福島県尋常中学校時代の朝河に英語を教えたハリファックスは、英国(イングランド)[[ウィルトシャー州]][[ウェストベリー]]に生まれる。[[1871年]](明治4年)から[[1874年]](明治7年)までの約3年間、[[工部省]]電信寮に電信技師として採用された後、[[中村正直]]の同人社や[[近藤真琴]]の攻玉塾等の私塾で英語を教える。その後ハリファックスは[[朝鮮]]に渡り、朝鮮で最初の王立英語学校「同文学」で朝鮮の関税職員や外交官等に英語を教えたり、[[ソウル特別市|ソウル]]〜[[プサン]]間の電信線工事に携わったりする。[[1890年]](明治23年)、福島県尋常中学校に赴任する。[[1892年]](明治25年)、時の福島県会がハリファックスの解雇を審議することを知った朝河は、「留任嘆願書」を提出した。しかしその後、ハリファックスの解雇が決まった。福島県尋常中学校を去った後、ハリファックスは長野県尋常中学校(現在の[[長野県松本深志高等学校]])、朝鮮官立英語学校で教鞭をとる。愛嬢アグネス・フローレンス・ハリファックスと共に、韓国ソウル市のヤンファジン(楊花津)外国人墓地に埋葬されている<ref>武田徹他『「ふくしま」が育んだ朝河貫一シリーズ(1) T.E.ハリファックス』(朝河貫一博士顕彰協会) 2009年</ref>。 |
福島県尋常中学校時代の朝河に英語を教えたハリファックスは、英国(イングランド)[[ウィルトシャー州]][[ウェストベリー]]に生まれる。[[1871年]](明治4年)から[[1874年]](明治7年)までの約3年間、[[工部省]]電信寮に電信技師として採用された後、[[中村正直]]の同人社や[[近藤真琴]]の攻玉塾等の私塾で英語を教える。その後ハリファックスは[[朝鮮]]に渡り、朝鮮で最初の王立英語学校「同文学」で朝鮮の関税職員や外交官等に英語を教えたり、[[ソウル特別市|ソウル]]〜[[プサン]]間の電信線工事に携わったりする。[[1890年]](明治23年)、福島県尋常中学校に赴任する。[[1892年]](明治25年)、時の福島県会がハリファックスの解雇を審議することを知った朝河は、「留任嘆願書」を提出した。しかしその後、ハリファックスの解雇が決まった。福島県尋常中学校を去った後、ハリファックスは長野県尋常中学校(現在の[[長野県松本深志高等学校]])、朝鮮官立英語学校で教鞭をとる。愛嬢アグネス・フローレンス・ハリファックスと共に、韓国ソウル市のヤンファジン(楊花津)外国人墓地に埋葬されている<ref>武田徹他『「ふくしま」が育んだ朝河貫一シリーズ(1) T.E.ハリファックス』(朝河貫一博士顕彰協会) 2009年</ref>。 |
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