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東チモール県知事日記

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20003122001514200110

3[ 1]

背景(東チモール略史)

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16 

18 西

1950 西

1974 

197511 12

19767 24

1998 

19991 

19998 UNAMET8

19999 23

199910 UNTAET20021

知事赴任前の著者

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198830NGO

1997 

199910 PKO

20003 UNTAET

内容

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以下、年を記載しない月日は2000年。

県組織の構築運営

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51

273

73181200143

国連軍の統括

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2900600322414

7248112

使1025[ 2]

2001426

インドネシア軍との円卓会議

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2西41西[ 3]

西チモール在住難民の帰還手続き

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19992031西320723

20009西UNHCR3西退96

治安、暴動への対応

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  • 伊勢崎の休暇中に、ベコ村でCPD-RDTLという政党に対しチモール抵抗民族評議会(CNRT)が暴力。国連軍と文民警察が出動する事態に(6月29日)。

司法の未整備

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UNTAET1112[ 4]

2001322427

東チモール国軍の必要性

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  • 伊勢崎は東チモールに軍隊は必要ないと意見(12月10日、15日、2001年3月4日)。

UNTAET本部への批判

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  • UNTAET本部を通じ、世界銀行が介入を計画。それは現地の実情に合わないとやりあう(5月25日、7月18日)。
  • 8月インドネシアがルピア紙幣を一部廃止。UNTAETも東チモール内の該当紙幣の廃止を発表。これではパニックを誘発するから、紙幣交換の制度を作るべきと意見(8月21日)。

労働争議の調停、職員の規律確保

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  • NGOが運営する県立病院で東チモール人がストライキ。その調停(4月9日)。
  • 5月にボランティア教師から公務員教師への選抜試験を施行。この採点に不正があったのではないか、という疑惑(8月28日)。アリピオが主導して調査(10月21日)。
  • パキスタン兵の地元女性へのセクハラ事件(5月4日、11月24日。翌年4月23日に処分決定)。

東チモール人への権限委譲

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  • 副知事に東チモール人アリピオが赴任(10月18日)。
  • アリピオを県知事代理、ガンビア人農業専門家サナを国連アドバイザーに任命し、任地を去る(2001年6月14日)。

伊勢崎離任後の東チモール

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20011 

20018 

20023 4

20025 UNTAET

2002320046 PKO[ 5]

20064 [ 6]

脚注

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注釈

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(一)^  22001-20022003-2005

(二)^  使 [1]p.91

(三)^  9[2]p.28

(四)^  [1]p.192

(五)^  [1]p.227 

(六)^  [1]p.280

出典

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  1. ^ a b c d 伊勢崎賢治 『本当の戦争の話をしよう』 朝日出版社 2015
  2. ^ 伊勢崎賢治 『自衛隊の国際貢献は憲法9条で』 かもがわ出版 2008

外部リンク

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