松本丑太郎
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松本 丑太郎︵まつもと うしたろう、天保13年︵1842年︶ - 明治43年︵1910年︶︶は、静岡県小笠郡中内田村︵現・菊川市︶の初代村長。酒造家。
幕末の領主、井上志摩守が勤王の志ありて上洛する際、金百両を献納しその意を継ぐ。明治初頭、牧之原台地を開墾して、最新式の製茶工場を建て、製茶を始めた。
明治22年︵1889年︶4月、中内田村の初代村長となり、静岡を製茶の一大産地とせんことを志す。明治43年︵1910年︶69歳で死去。現在もその徳を讃える石碑が、応声教院の石段西にある。丑太郎の開墾した、牧之原台地の西の集落を﹁松本開墾﹂という。
なお長女の節子は板垣退助の嫡男鉾太郎に婚し、のち満蒙開拓を志し、満州国長春市で客死した。