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'''池田 克己'''(いけだ かつみ、[[1912年]][[5月27日]] - [[1953年]][[2月13日]])は、日本の[[詩人]]。 |
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奈良県出身。1927年[[奈良県立吉野工業高等学校|吉野工業学校]]建築科卒。奈良県で写真館を経営。1931年小学校の師[[植村諦]]に初めて詩を見てもらい、詩作に励む。34年第一詩集﹃芥は風に吹かれてゐる﹄を発刊。36年[[上林猷夫]]、[[佐川英三]]らと詩誌﹃豚﹄を創刊、のち﹃現代詩精神﹄と改めた。39年徴用令で中国に渡り、1941年解除、上海で大陸新報社の記者となり﹃上海文学﹄を創刊、また[[草野心平]]らと詩誌﹃亜細亜﹄を出した。戦後45年帰国。46年上林、佐川らと﹃花﹄を創刊、47年6月[[小野十三郎]]、[[高見順]]らを編集に加え﹃[[日本未来派]]﹄を創刊し、編集人となった<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B1%A0%E7%94%B0+%E5%85%8B%E5%B7%B1-1637880#0.E4.B8.96.E7.B4.80.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E5.90.8D.E4.BA.8B.E5.85.B8 20世紀日本人名事典]</ref>。40歳で死去した。
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[[奈良県]]出身。1927年[[奈良県立吉野工業高等学校|吉野工業学校]]建築科卒。奈良県で写真館を経営。1931年小学校の師[[植村諦]]に初めて詩を見てもらい、詩作に励む。34年第一詩集﹃芥は風に吹かれてゐる﹄を発刊。36年[[上林猷夫]]、[[佐川英三]]らと詩誌﹃豚﹄を創刊、のち﹃現代詩精神﹄と改めた。39年徴用令で中国に渡り、1941年解除、上海で大陸新報社の記者となり﹃上海文学﹄を創刊、また[[草野心平]]らと詩誌﹃亜細亜﹄を出した。戦後45年帰国。46年上林、佐川らと﹃花﹄を創刊、47年6月[[小野十三郎]]、[[高見順]]らを編集に加え﹃[[日本未来派]]﹄を創刊し、編集人となった<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B1%A0%E7%94%B0+%E5%85%8B%E5%B7%B1-1637880#0.E4.B8.96.E7.B4.80.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E5.90.8D.E4.BA.8B.E5.85.B8 20世紀日本人名事典]</ref>。40歳で死去した。
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==著書== |
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*『芥は風に吹かれてゐる 池田克己第一詩集』日本書房 1934 |
*『芥は風に吹かれてゐる 池田克己第一詩集』日本書房 1934 |
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*『原始 池田克己詩集』豚詩社 1940 |
*『原始 池田克己詩集』豚詩社 1940 |
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*『池田克己詩集』日本未来派発行所 1948 |
*『池田克己詩集』日本未来派発行所 1948 |
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===翻訳=== |
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*梁漱溟『郷村建設理論 一名・中国民族之前途』大亜細亜建設社 1940 |
*梁漱溟『郷村建設理論 一名・中国民族之前途』大亜細亜建設社 1940 |
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==脚注== |
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2018年3月10日 (土) 15:06時点における版
池田 克己︵いけだ かつみ、1912年5月27日 - 1953年2月13日︶は、日本の詩人。
略歴
奈良県出身。1927年吉野工業学校建築科卒。奈良県で写真館を経営。1931年小学校の師植村諦に初めて詩を見てもらい、詩作に励む。34年第一詩集﹃芥は風に吹かれてゐる﹄を発刊。36年上林猷夫、佐川英三らと詩誌﹃豚﹄を創刊、のち﹃現代詩精神﹄と改めた。39年徴用令で中国に渡り、1941年解除、上海で大陸新報社の記者となり﹃上海文学﹄を創刊、また草野心平らと詩誌﹃亜細亜﹄を出した。戦後45年帰国。46年上林、佐川らと﹃花﹄を創刊、47年6月小野十三郎、高見順らを編集に加え﹃日本未来派﹄を創刊し、編集人となった[1]。40歳で死去した。著書
- 『芥は風に吹かれてゐる 池田克己第一詩集』日本書房 1934
- 『原始 池田克己詩集』豚詩社 1940
- 『上海雑草原 詩集』八雲書林 1944
- 『新生中国の顔』アルス 1944
- 『中華民國居留 池田克己詩集』太平出版 1944
- 『上海雑草原 詩集』八雲書林 1944
- 『法隆寺土塀 詩集』新史書房 1948
- 『池田克己詩集』日本未来派発行所 1948
翻訳
- 梁漱溟『郷村建設理論 一名・中国民族之前途』大亜細亜建設社 1940