「海禅寺」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
Immergruen (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
3行目: | 3行目: | ||
かつては、臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院で、大雄山と号し、寛永元年︵[[1624年]]︶神田明神の北、妻恋に草創。江戸における妙心寺派触頭のひとつであった。振袖火事の後、現在の浅草に移る。蜂須賀家の庇護あつく、世に﹁阿波様寺﹂と呼ばれた。
|
かつては、臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院で、大雄山と号し、寛永元年︵[[1624年]]︶神田明神の北、妻恋に草創。江戸における妙心寺派触頭のひとつであった。振袖火事の後、現在の浅草に移る。蜂須賀家の庇護あつく、世に﹁阿波様寺﹂と呼ばれた。
|
||
関東大震災で大被害、また東京大空襲では時の住職以下九名が死亡した。 |
関東大震災で大被害、また東京大空襲では時の住職以下九名が死亡した。 |
||
本尊・釈迦如来、開山・覚印周嘉、開基・曽我主計頭尚祐。[[梅田雲浜]]の墓があることでも知られる。 |
本尊・釈迦如来、開山・覚印周嘉、開基・曽我主計頭尚祐。海禅寺の称は、下総・相馬郡に[[平将門]]が創建したとされる同名の寺にちなむという︵開山・覚印が同地の出身であった伝えられる︶。[[梅田雲浜]]の墓があることでも知られる。
|
||
== 塔頭 == |
== 塔頭 == |
||
20行目: | 20行目: | ||
=== 旗本 === |
=== 旗本 === |
||
* 曽我家 |
* 曽我家(開基) |
||
* 生駒家(出羽・矢島陣屋8千石。交代寄合) |
|||
* 池田家(3千石。もと播磨・[[新宮藩]]1万石) |
|||
* 土屋家 |
* 土屋家 |
||
* 篠崎家(奥医師) |
|||
=== 町人 === |
=== 町人 === |
||
29行目: | 32行目: | ||
* [[寺沢堅高]] |
* [[寺沢堅高]] |
||
* [[竹中重義]] |
* [[竹中重義]] |
||
* [[池田頼方]](播磨守、浦賀奉行・町奉行などを歴任) |
|||
* [[武田斐三郎]] |
* [[武田斐三郎]] |
||
* [[梅田雲浜]] |
* [[梅田雲浜]] |
||
37行目: | 41行目: | ||
== 近隣情報 == |
== 近隣情報 == |
||
* 合羽橋道具街 |
* 合羽橋道具街(プロ向の厨房器材が豊富) |
||
* 台東区立中央図書館 |
* 台東区立中央図書館([[池波正太郎]]記念文庫、郷土・資料調査室など) |
||
==外部リンク== |
==外部リンク== |
2007年4月3日 (火) 11:41時点における版
海禅寺︵かいぜんじ︶は、東京都台東区松が谷三丁目にある臨済宗系の単立寺院。
かつては、臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院で、大雄山と号し、寛永元年︵1624年︶神田明神の北、妻恋に草創。江戸における妙心寺派触頭のひとつであった。振袖火事の後、現在の浅草に移る。蜂須賀家の庇護あつく、世に﹁阿波様寺﹂と呼ばれた。
関東大震災で大被害、また東京大空襲では時の住職以下九名が死亡した。
本尊・釈迦如来、開山・覚印周嘉、開基・曽我主計頭尚祐。海禅寺の称は、下総・相馬郡に平将門が創建したとされる同名の寺にちなむという︵開山・覚印が同地の出身であった伝えられる︶。梅田雲浜の墓があることでも知られる。